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127件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[150] 函館市での住民運動、高層マンション反対運動高層建築反対運動市民運動 7補足3

投稿者: 管理人 投稿日:2015年 6月 6日(土)02時01分44秒   通報

3団体が提出した陳情文を載せます。




[149] 函館市での住民運動、高層マンション反対運動高層建築反対運動市民運動 7補足2

投稿者: 管理人 投稿日:2015年 6月 6日(土)01時55分15秒   通報

陳情の報道記事が添付できなかったので、再度試します。



[148] 函館市での住民運動、高層マンション反対運動高層建築反対運動市民運動 7補足

投稿者: 管理人 投稿日:2015年 6月 6日(土)01時48分27秒   通報

新聞記事が添付できなかったので、再度試します。



[147] 函館市での住民運動、高層マンション反対運動高層建築反対運動市民運動 7

投稿者: 管理人 投稿日:2015年 6月 6日(土)01時25分38秒   通報

新しく出来た連合体「函館西部地区の高層建築を考える会」の初仕事であった市への陳情には、出来るだけ多くの人で行こうと話し合った。私は何とか授業のやりくりをつけて年休を取り駆けつけることにした。終わり次第また学校へ戻り授業を行うという慌しい一日である。放課後には自分で自主的に行っている数学の補修授業もしなくてはならない。連合体のほかに谷地頭町、元町31の2団体も独自の陳情を提出するので代表としては休むわけにはいかない。陳情は行政(市)と市議会の2箇所に行うのだ。
慣れない陳情であったが、そこはベテランである市議会議員の石井氏の誘導で鬼に金棒。

以前に廃校となった谷地頭小学校の校舎保存の陳情に来た時には市の二人の部長が我々PTA有志の陳情文を受け取ろうとせず、延々と立ったまま1時間以上もやり取りした事があった。部長は私に向かって「あんた何やってるのさ」というので、「市立函館東高校の教員です。年休を取って来ました。」と言うと「あんた自分の立場分かってるのか」と脅かす始末。自分の配下である市の公務員が自分たちの方針に逆らうのは許せなかったのだろう。
しかし今回は市議会議員がついているので、そんな事も無く実にスムースに行われた。
(この谷地頭小学校PTA有志の陳情文受け取り拒否事件は、その後、私の連絡を受けた民主党議員達の追求により、向こうから「受け取らせて下さい」という謝罪の電話があった。その後、金田誠一氏が議長を行う総務常任委員会でこの事が追求され私も傍聴に言ったが、「私どもは決して受け取りを拒否しておりません、もう少しよく考えてまた来てはどうかと言っただけです。」などと白々しい言い逃れをしていた。)

話がそれたが、当日4月17日に集まった陳情団は総勢50名、函館では初めてとなる大陳情団となった。勿論、それにマスコミ各社も加わった。その様子を見て、私が抱いていた函館の景観破壊への苛立ちは決して私一人だけのものではなかったんだという事を実感し、大変に高揚した。
下方に、函館の実情を伝える毎日新聞の4月15日の記事と、陳情の様子を伝える記事2本を載せる。
(続く)

※この運動に関する詳細なデータは文書、写真、録画、新聞という形で私のところに保管しています。(他団体のビラ・陳情文の多くも私が手がけましたので)  関心がある方は次へ連絡下さい。電話0138-87-0250 小原雅夫
また、この運動の簡単なまとめが、「ナショナル・トラスト全国大会函館」の報告書にも載っています。これは1991年の全国大会が函館で行われた際の私の報告です。
※検索でこの欄に飛んでこられた方は、前後の文章が読めないかもしれません。その場合にはgoogleで 「Masao Obara Art Gallery 」で検索しますと、トップにこのHPの本体がヒットします。そこで、伝言板をクリックしますと、この板の全体を読む事が可能です。



[146] 函館市での住民運動、高層マンション反対運動高層建築反対運動市民運動 6

投稿者: 管理人 投稿日:2015年 6月 3日(水)18時34分58秒   通報

前回では、私の投稿を見てすぐに沢山の電話が来たと述べたが、景観問題以外にも、当時、自宅周辺の土地が次々に地上げされ買収されて空き地となってゆくのに不安を感じていた人も多かった。そんな人たちは私の記事を見て反対する団体の旗揚げに動き出した。私の記事は4月4日であったが、4月7日には元町31の空き地周辺の住民によって「元町地区のマンション建設に反対する会」(代表 三浦欣一氏)が結成された。(下方にそれを報道する記事を載せました)

団結して合同で運動をしようという浜島氏の提案で集まったのは次の5団体21名の参加であった。4月11日の事である。

「元町地区のマンション建設に反対する会」(代表 三浦欣一氏)
「函館の歴史的風土を守る会」(会長 浜島国四郎氏)
「元町クラブ」(代表 村岡氏)
「谷地頭15-7のマンションを考える会」(代表 小原雅夫)
     ?

ここで話し合われた事は、「これ以上景観を破壊する高層建築は建って欲しくない」「高層マンションの殆どが投機目的なので住民が追い出されるだけで人は戻ってこない」「金によって、住民の間に在った連帯感とか帰属意識も破壊されつつある」「市は景観条例の範囲を広げてもっと守って欲しい」「市はもっと積極的に景観と地域の保護のために動いて欲しい」等々
この話し合いの結果として、今後も連帯して運動を進めよう、そのためにこれらの団体が連合して運動体を作りその名称を「函館西部地区の高層建築を考える会」(函館山周辺を地元では西部地区と呼んでいる)とする。代表には浜島氏、副代表には小原、村岡氏(画廊経営)、 事務局長には太田氏(呉服屋経営)を決めた。浜島氏を代表としたのは地元の工業高校の建築課でかつて教鞭をとっており教え子に地元で活躍している建築家が多く居たり歴風会の会長としての顔の広さも役立つと考えたからである。
その時私が皆に提案したのは、必要に応じて連合体として活動するが、個々の団体の運動はそれぞれの自主性を尊重し、決して縛らない事、であった。
運動は急を要したので、個々の自発的な運動まで全体の承認を必要とするのはなんとしても避けたかった。机上の空論を好む人も多いが、それは時間の浪費である。ともかく迅速に声を挙げマンション建設への異議を市民にアピールする事が大事なのだ。
最初の行動は、市に対して皆で陳情に行こうということになった。陳情方法等には疎い者ばかりであったが、メンバーの中に市議会議員の石井満氏が居り、誠実な人柄と共に、それ以降の市や議会への陳情では大いに尽力してくれた。
この会結成を伝える記事を下方に載せる。

私の投稿以後、西部地区のマンション建設に関する記事や投書が増えていった。
殆ど連日何かかにか載っており、かつて私がお手伝いに参じようと毎日のように新聞をチェックした頃とは雲泥の差である。
細かな記事の多くは散逸してしまったが、手元に残っている物は参考までに紹介していこう。
(続く)

※この運動に関する詳細なデータは文書、写真、録画、新聞という形で私のところに保管しています。(他団体のビラ・陳情文の多くも私が手がけましたので)  関心がある方は次へ連絡下さい。電話0138-87-0250 小原雅夫
また、この運動の簡単なまとめが、「ナショナル・トラスト全国大会函館」の報告書にも載っています。これは1991年の全国大会が函館で行われた際の私の報告です。




[145] 函館市での住民運動、高層マンション反対運動高層建築反対運動市民運動5

投稿者: 管理人 投稿日:2015年 5月29日(金)19時32分37秒   通報

私の地元谷地頭町の高層マンション反対運動を、単なるローカルの問題に終わらせず、函館市における景観保護運動へと発展させるため、私は早速地元の新聞に投稿した。紙面を大きく使う投稿記事はなかなか採用されないものだが、私はこれが絶対にすぐ採用されるだろうという自信があった。バブル経済による大きな軋みが社会全体の底の方でうごめいており、いわば発火点に到達していると私自身感じていた。マスコミの人々もきっとそう感じているに違いない。私の一石によってパッと燃え上がるに違いない。
そして、その通りとなった。私の投稿は1週間も経たないうちに新聞紙面を飾った。下に載せたのはその文章である。
この新聞記事による市民の反応はとても早かった。掲載されたその日から見知らぬ方々からの電話が鳴り続けた。そのどれもが「よくぞ言ってくれた。私も函館の景色を愛する者として、高層マンションに憤慨していました。」という内容であった。
それらの電話の中に「私たちも全く同感です。私たちも町並みを考える会を作っているので一緒に何かしませんか。」という提案があった。電話の主は浜島氏(当時、函館の歴史と風土を考える会会長)だったと思う。勿論大賛成!! で、数日後に浜島氏とつながりを持った会の人々と会合を持つ事となった。
(続く)

※この運動に関する詳細なデータは文書、写真、録画、新聞という形で私のところに保管しています。(他にいくつもの団体を作りましたが、それらのビラ・陳情文の殆ども私が手がけましたので)関心がある方は次へ連絡下さい。電話0138-87-0250 小原雅夫
また、この運動の簡単なまとめが、「ナショナル・トラスト全国大会函館」の報告書にも載っています。これは1991年の全国大会が函館で行われた際の私の報告です。



[144] 函館市での住民運動、高層マンション反対運動高層建築反対運動市民運動 4

投稿者: 管理人 投稿日:2015年 5月27日(水)20時06分18秒   通報

前回述べたように、私が業者に説明会の開催を要求する署名集めを始めたのが1990年の2月であった。当時は、私の希望としては函館の景観を壊す高層マンション全てに反対したかったが、そんな大それた事は出来ないので、取り敢えず身近なマンションだけでも何とかしようと考えた。ストップは無理でも、低くするとか、電波障害やビル風対策をとらせるとか・・・・ともかく何とかぶつかってみよう。
業者との話し合いは2度行われ、業者は建設中や完成後の迷惑はかけないよう十分注意する事は約束したが、高さを低くする事については、頑として拒否。われわれ住民は今後の方針について話し合った。そこで私から次のように提案した。
「実は、高層建築に対する付近住民の反対運動というのは全国各地で発生した。(私の妻の実家がある練馬区桜台でもずっと前に起こった。)しかし、どこも大体住民の敗北で終わっている。
日照権やビル風・電波障害の点はある程度対策がとられたらそれ以上追及できない。眺望の点でも勝つのは難しい。それは、単なる地域エゴとしかみられない。住宅で困っている人のためにマンション建ててどこが悪いのだで終わってしまう。・・・・そこで提案だが、この谷地頭のマンションだけでなく函館の景観を守るという観点から函館西部地区全体の問題として市民に訴えませんか? しかも建てられているマンションの多くが投機目的で人があまり住んでいないというのも市民の共感を得るためのいい材料となる。」
皆はこの私の提案に賛成してくれた。こうして極めてローカルな問題であった谷地頭のマンション問題が函館の景観保護運動へと飛躍する事となった。運動の様子はおいおい紹介していくが、運動を開始したら当初の私の「持って行き場の無い怒りと焦り」はすっと消えてしまった。この怒り焦りは何もできない自分に対するものだったのかもしれない。

この私の動きに、マスコミが敏感に反応した。前回の新聞記事が第一号であるが、その後堰を切ったように新聞テレビ等が函館の高層マンション問題を取り上げ始めた。・・・実は、私の心の中では、きっとこの問題はマスコミが飛びついてくるだろうという予想を持っていた。というのは、バブル経済で、全国各地で投機対象のマンション建設のための地上げが大変な勢いで進んでおり、それを快く思っていない国民は多い。函館は景色の良さで全国的に有名だが、その景色を投機目的の高層マンションが蝕んでいるという訴えは絶対一般市民に届くはずだ。

次に載せる3つの記事はある新聞社が連載したもので、当時の雰囲気を良く伝えている。
(続く)


※この運動に関する詳細なデータは文書、写真、録画、新聞という形で私のところに保管しています。(他にいくつもの団体を作りましたが、それらのビラ・陳情文の殆ども私が手がけましたので)関心がある方は次へ連絡下さい。
電話0138-87-0250 小原雅夫

また、この運動の簡単なまとめが、「ナショナル・トラスト全国大会函館」の報告書にも載っています。これは1991年の全国大会が函館で行われた際の私の報告です。



[143] 函館市での住民運動、高層マンション反対運動高層建築反対運動市民運動 3

投稿者: 管理人 投稿日:2015年 5月27日(水)00時34分58秒   通報

ここに紹介するチラシ及び新聞のコピーは、業者による説明会への参加要請と、説明会の結果を受けての毎日新聞の報道である。この新聞の記事はこれ以降湧き起こる反対運動の序章とも言うべきもので、ある意味記念すべき記事であった。この時点では、私達はこの運動が全国規模で報道されるものとなろうとは思っても居なかった。
(続く)

※この運動に関する詳細なデータは文書、写真、録画、新聞という形で私のところに保管しています。(他にいくつもの団体を作りましたが、それらのビラ・陳情文の殆ども私が手がけましたので)関心がある方は次へ連絡下さい。
電話0138-87-0250 小原雅夫

また、この運動の簡単なまとめが、「ナショナル・トラスト全国大会函館」の報告書にも載っています。これは1991年の全国大会が函館で行われた際の私の報告です。



[142] 函館市での住民運動、高層マンション反対運動高層建築反対運動市民運動 2

投稿者: 管理人 投稿日:2015年 5月25日(月)18時24分6秒   通報

私が発見したのは、我が家から数件離れた空き地が鉄板の塀で囲まれていて、そこに高層マンション建築のお知らせ看板がかかっている有様であった。その看板を読んでいるうちに、ああもうこれは自分がやるしかないんだという覚悟が湧いてきた。誰か運動を始めていたら自分も駆けつけてお手伝いを・・・などという悠長な事を言っているわけにはいかない。自分の身の回りの事なのだから。私は早速近隣の家を一軒一軒回って歩き、業者に説明会を開かせる署名集めを始めた。私の祖父母以来百年近く住んでいる土地ではあったが私自身は進学・転勤等で長い空白があったのでみな怪訝な雰囲気で私に問いただした。「あんた誰なのさ」 皆には、この件に便乗して一儲け企むけしからん輩かもと疑われたのだろう。しかし、大変好都合だった事は、私が公立高校の教員であった事だ。田舎の事ゆえ、学校の先生と分かるとすぐに胸襟を開いてくれた。
「先生がいくら反対したって建ってしまうんでないの、現にどこでも建っちゃってるでしょう」
「僕もそう思います、しかし嫌なのに黙っているのは悔しくないですか?負けてもやるだけやったという方がかっこいいと思いませんか。説明会を開かせるだけでも、住民がうるさいから注意して工事をやろうとか、電波障害の対策もきちんとしようとか、運がよければ高さを少し削ろうかとかなるかもしれませんよ」このような会話を延々と繰り返して署名を集め、とうとう業者による説明会に漕ぎ着けた。

運動を展開していく上で、教員という立場は大変役に立った。建設業というのは裾野が広く、これに恩恵をこうむっている人は沢山いる。そのような人たちは、心では函館の景色が高層マンションで蝕まれていく事に否定的な気持ちを持っていても、運動の先頭に立つ事は出来ず、中には署名すら遠慮する人もいる。かろうじて奥さんの名前で署名してくれる人も多かった。その点、学校の教員は誰にも遠慮は要らない。まあ、ある市のお偉いさんに恫喝されたり(市立高校だったので)、「そんな事をやっていると出世できないよ」と忠告してくれる校長も居るにはいたが・・・・・・私自身、出世に関心はなかったし、いざとなったら組合が守ってくれるという確信があった。
ここで少し、函館山山麓での高層マンション建設の実態を述べておこう。ハリストス聖教会カトリック元町教会を中心としたおおよそ600mx400mの範囲内での建設である。

1988年1月 アートビュウ元町完成
1988年7月 ロジェ末広完成
1988年8月 ライオンズ元町完成
1988年12月 アートビュウ大三坂完成
1989年3月 タオコート函館山完成
1989年7月 ポートビュウ函館完成
1989年8月 パシフィック第三坂1完成
1989年8月 パシフィック第三坂2完成
1989年9月 ルネサンス末広完成

2年余りの間に次々と建設されていったのが分かる。これらは、建設当時は、購入されても部屋の明かりが点く事は殆ど無く、投機の対象としての購入が多かった。業者も貧しい人が多い函館の人を客とは考えておらず、都市部の富裕層をターゲットとしていた。函館で販売のお知らせが出る前に都心で「将来値上がりする物件」として大々的に宣伝していた。この事も、函館の市民を怒らせる要因となった。
上記のマンションの立地にはある特徴がある。
実は函館市では1988年4月に「函館市西部地区歴史的景観条例」を施行しているが、その区域の外側の規制がゆるい所に集中しているのだ。指定された区域は将来も高い建物が建つ心配は無いので見晴らしの半分は大丈夫というわけだ。自分たちのマンション自身は大きな景観破壊をしているのに他のマンションはうっとうしいのだ。

これらの一連の建設ラッシュから半年近く期間を置いて突然降って湧いたのが我が家の近隣での建設予告であった。上記のマンション群からは800m程度離れた谷地頭と呼ばれる土地で近くには谷地頭温泉や立待岬などもある。
1990年1月建築予告 名称「クレステージ谷地頭」(企画Y&M、施工太平住宅)年末の完成を予定していたと思う
(続く)

※この運動に関する詳細なデータは文書、写真、録画、新聞という形で私のところに保管しています。(他にいくつもの団体を作りましたが、それらのビラ・陳情文の殆ども私が手がけましたので)関心がある方は次へ連絡下さい。
電話0138-87-0250 小原雅夫

また、この運動の簡単なまとめが、「ナショナル・トラスト全国大会函館」の報告書にも載っています。これは1991年の全国大会が函館で行われた際の私の報告です。



[141] 函館市での住民運動、高層マンション反対運動高層建築反対運動市民運動1

投稿者: 管理人 投稿日:2015年 5月24日(日)17時54分15秒   通報    編集済

1990年春から函館では大規模な住民運動が湧き起こりました。マスコミいわく「高層マンション反対運動」。この結果として、実に7棟の高層マンションが建築断念に追い込まれ、市からは沢山の景観保護のための施策を引き出しました。
最近知人から、当事者による当時のデータが入手できないか、との問い合わせが寄せられました。市のHPにも少しは書いてあるが、住民の声に押されてどのような経緯でどのような施策を行ったのかが知りたいとの事。どうも市はその辺の事は詳らかには書きたくないのかもしれません。そこで、その住民運動を始めた当事者として、きちんと記録を残すべきではないかとの責任を感じました。しかし、目下大変多忙なので、きちんとしたHPを作る前にまずこの掲示板に少しずつ記録して行こうと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・


運動を始めた経緯
私は小学校卒業迄函館で過ごし、その後進学や転勤であちこち移動した後、30年ぶりに函館に戻ってきました。その函館で最もショックを受けたのが、函館山周辺に乱立する高層マンション群でした。私が幼少時育った所は函館山の麓でとても見晴らしがよく、子供心にもその風景を誇りに思っていました。ところがその風景は高層マンションでずたずたになっていました。
その風景を見るたびに私は持って行き場の無い怒りと焦りにさいなまれました。「景観を売りにしている函館がそれをぶち壊す高層マンションをストップさせようとしないとはどういうことなのだろう!!」
私は市の都市建設部や市会議員にも相談に行きましたが、答えは同じで「どれも合法建築なのでやめさせる事は出来ない」との事。
納得出来なかった私は市の法律相談に行きました。そこで対応してくれた山崎弁護士の返事も同じもの。落胆して席を立ちかけた私にその弁護士がぽつりと言ったせりふが「後は住民運動ぐらいでしょうか」。そうか、住民運動という手があったか。でもこれを始めるのは大変な事。・・・・・・・・・・
その日以降、私は毎日、新聞を丹念に読み始めた。誰か始めてくれないだろうか、そしたら駆けつけて私もお手伝いしよう・・・・・・でも、なかなかそんな記事は見つからなかった。
今から思うと1990年春ころはバブルがあやしくなりつつあったのだが、巷ではそんな事に気付かず建設ラッシュが続き、函館山周辺では次々に建設予告の看板が設置されていく。何とかしなくてはという焦りが私を苛むのだが、全国規模で見てもマンション反対運動は起きていなかった、・・・いや、どこかであったのかもしれないが全国紙には登場しなかった。・・・・・・
そんな時、私はとんでもない物を発見した。(続く)

※この運動に関する詳細なデータは文書、写真、録画、新聞という形で私のところに保管しています。(他にいくつもの団体を作りましたが、それらのビラ・陳情文の殆ども私が手がけましたので)関心がある方は次へ連絡下さい。
電話0138-87-0250 小原雅夫

また、この運動の簡単なまとめが、「ナショナル・トラスト全国大会函館」の報告書にも載っています。これは1991年の全国大会が函館で行われた際の私の報告です。


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