『邪馬台三国志』倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰物語



カテゴリ:[ 小説 ] キーワード: 邪馬台国 ヒミコ


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[84] 『邪馬台三国志』の読みどころ32

投稿者: 高田康利 投稿日:2014年 8月15日(金)08時40分19秒 eAc1Abl216.osk.mesh.ad.jp  通報   返信・引用

〈女王ヒミコ/歴代ヒミコ/ヒミコの墓〉‥‥ヒミコの墓/女王 倭迹迹日百襲姫/気長足姫(神功)

二七〇年代の前半、女王トヨが大病に陥ったことで、饒速日は同年代の妃だった倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ、大日本王孝霊の姫、倭迹迹姫とも言った)を三代目女王に引き上げた。彼女は、聡明で先々の事がよく見通せた。その名は御炊屋姫・三炊屋姫・長スネ姫・活玉依姫など、饒速日の妃ら百人余の名を片っ端から襲名したことにある。
何ヶ月か後、この女王は饒速日に恥をかかせたとして逃げ去られ、失意の内に逝った。
すぐさま、女王付きの幼巫女・気長足(おきながたらし)姫が四代目女王に担がれた。この姫はわずか数歳だったにもかかわらず、ヒミコとしてケナ気に振舞っていた。饒速日が彼女に目をつけたには、理由があった。
幼いながら聡明で稀に見る美顔だった上に、日子坐(ひこいます)王・天日槍双方の血を受け継ぐからだ。彼はこの血筋を利用して両海部家を取り込む一方、紀伊熊野家を通じて新羅や熊襲も押さえつけたいと目論んでいた。

その後、饒速日(日本大物主大神)は、ヒミコの墓の方墳を伸長してバチ形前方後円墳に造り変えると、倭迹迹日百襲姫もそこに合葬した。
ついで仏塔になぞらえたのか、方墳の表面全体を大坂山から運んだ石ですっぽり覆わせていた。このとき、ヒミコの墓は五壇重ねの石積み円墳に、方墳を付け足したバチ形前方後円墳に変貌して、二重の周濠で囲われていた。察するところ、周濠を掘って余った残土でもって方墳を伸長したらしい。

崇神紀には、この墓が築かれた時の様子が細々と記されている。ここからも、崇神・饒速日・倭迹迹日百襲姫が三世紀後半に生きた人物と確定できる。
「崇神紀」、倭迹迹日百襲姫は大物主神の妻となった。その神は昼には来ず、夜になってから現れた。そこで倭迹迹姫は、夫にたずねた。
「暗くてはっきり見えない故、今宵はお留まりください。朝方に、麗しいお姿を拝見したいものです」
大神が答えて言うには、
「道理である。明け方に汝の櫛箱の中に入っていよう。わが姿形に驚かぬように」と。
姫が夜明けを待って櫛箱を開けると、衣紐大の麗しい小蛇が箱に入っていた。姫は驚きのあまり叫び声をあげた。大神はたちまち人の形に戻って、
「汝は我慢できずに、私に恥をかかせた。ここから姿を消すことで、汝にも恥をかかせようぞ」
と言うなり、大空を飛ぶようにして御諸山に登り帰った。姫はそれを仰ぎ見て後悔したのか、腰の力が抜けて床にドスンと座り込んでしまった。そのとき、箸が体に突き刺さってみまかり、大市に葬られた。時の人はその墓を箸墓と呼んできた。
この墓は、昼は人が造り、夜は神(三輪氏)が造った。大勢の人が大坂山から箸墓まで並び立ち、石を手渡して運んだ。

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[83] 『邪馬台三国志』の読みどころ31 〈女王ヒミコ/歴代ヒミコ/ヒミコの墓〉‥‥ヒミコの墓/女王トヨ 3

投稿者: 高田康利 投稿日:2014年 8月15日(金)08時35分23秒 eAc1Abl216.osk.mesh.ad.jp  通報   返信・引用

●天神火明饒速日
女王トヨの朝貢(二六五年)から一年と経ない内に、垂仁は天照国照彦火明饒速日と称して天神の位に昇る一方、大足彦が倭王の座に就いた。そこに至った経緯は、こうだ。
「饒速日はヒミコの円墳を帆立貝形に造って二重の水濠で囲うや、これを泰山・梁父山に見立る中で、柴を焚きながら封禅して現人神の天神に座り、ついで十握剣を天璽同然に祭り上げた」

その直後、垂仁は東山道都督に立って間もない大足彦に倭王の座を譲ると伝えてきた。先例からすると、饒速日が天神として天地に君臨する中で、大足彦が倭王となって地上の一切合財を取り仕切ることになるが、饒速日はそうはさせなかった。祭器を独り占めにして政と軍事を一手に握ったままで、政権を移譲したごとく見せかけていた。彼が政権を譲り渡した本心というのも、火火出見に命乞いまでした喧嘩沙汰を蒸し返し、大足彦に仇討ちさせることにあった。
このため、大足彦は纏向に戻って日代宮で即位式に臨んだものの、神璽も持たないままに立った。後に、景行と諡される天皇だ。
この時期の景行は、上は天神、下は都督に挟まれた窮屈な身にあっても、多くの妃に産ませた皇子や、妃の兄弟らを要職に取り立てることで、権力と武力をわが身に引き寄せていった。その影響は東国の地で著しかった。あおりを食らった日高見勢は、常陸を捨てて仙台平野に逃げ落ちたほどだ。
大足彦の後釜として、同門の成務が若年ながら東山道都督に昇り、大津高穴穂宮に都した。
同じ頃、北陸道の誉津別も逝ったことで、仲哀が北陸道・南海道の都督を兼ねて、行き来していた。
「景行紀」、「(四年の)冬十一月、美濃より還ります。則ち更纏向に都つくる。是を日代宮と謂す。・・」

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[82] 『邪馬台三国志』の読みどころ30 〈女王ヒミコ/歴代ヒミコ/ヒミコの墓〉‥‥ヒミコの墓/女王トヨ 2

投稿者: 高田康利 投稿日:2014年 8月14日(木)07時30分52秒 eAc1Abl216.osk.mesh.ad.jp  通報   返信・引用

二五○年頃、双方による殺し合いは、周辺国に飛び火して拡大の一途を辿った。結果、合わせて千余の戦死者が出る内乱に陥ってしまった。
またも天下を二分するかと思われたこの抗争も、張政の威圧めいた説得が効を奏したのか、全軍の統制がままならなかった饒速日が折れて出て、次の五点を確約することで漸く沈静化した。
一、ヒミコの遺言を遵守する。
一、南国勢に対しても、東国の天火明一派に対しても、協調に努める。
一、天火明妃だった日葉酢(ひばす)姫ら五人姉妹を妃に娶り、その児・五十瓊敷か大足彦を太子に立てる。
一、日神の教えに立ち返り、徳と真ごころに沿った国づくりに勤しむ。
一、大己貴が卿に昇って、政を取り仕切る。
こうして、歳十三の豊鍬入姫(とよすきいりひめ、台与、トヨ)が晴れて二代目女王を襲名できた。ついで、日葉酢姫ら四姉妹が饒速日(三代目垂仁)に輿入れしてきた。
葛野の豪族・大筒木垂根(彦湯産隅の児)の屋敷でのんびり暮らしていたカグヤ姫も、大日本家(月の国)に入籍した後、生まれ変わった風をして饒速日に嫁いできた。
※竹取物語は、日葉酢姫ら五姉妹が五人の公達に、顔が醜いとされた竹野姫が絶世の美女に、月の国と呼ばれてきた大日本(大倭)国が月の都に置き換えられて、創作された。

身動きの取れなかった張政が、この結果を見届けてから帰国の準備にかかると、女王トヨは帯方郡までの厳重警護を申し出るとともに、魏帝にお礼の言葉を伝える大夫ら二十人の遣いも同行させた。
帰国した張政は、ヒミコの墓が魏帝の考えに沿った円壇と報告したことで、「倭人伝」には塚高さ(高・・歩)の記載がない。
「倭人伝」、「卑弥呼以に死し、大いに冢を作る。径百余歩、殉葬する者、奴婢百余人。更に男王を立つるに、国中服せず。こもごも誅殺し、千余人を殺す。ヒミコの宗女、台与、歳十三なるを立てて王と成し、国中ついに定まる。政等、檄を以て壱与(台与)を告喩し、壱与、倭の大夫率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わし、政等の還るを送らしむ」
※魏の一歩は、約一・五㍍。従って、箸墓古墳の円墳径一五七㍍は、百余歩に相当する。

この直後、ヒミコの亡骸は生前から造っていたホケノ山古墳に戻された。それから半年もすると、円壇は石垣を五段に積み重ねた水濠付の円墳(五段目は石積み)に一変していた。饒速日はその墳頂を掘り下げてヒミコの棺を納めると、百面近い鏡・ツボ・特殊器台土器なども添えて弔った。
その後のホケノ山古墳は、二代目ヒミコの豊鍬入姫に譲られた。
【ホケノ山古墳】、箸墓古墳東にある全長八〇㍍の帆立貝形前方後円墳で、葺石と周濠を伴う。後円部中央に設けられた石囲み内に木槨が設けられていて、そこに平縁の画文帯神獣鏡一が残っていた。木槨内部は水銀朱で覆われていた。
※大神神社は、ホケノ山古墳が豊鍬入姫の墓と伝える。
※箸墓古墳の円墳上にあった宮山型特殊器台・特殊器台形埴輪・特殊壷は、三世紀中頃の土器。円墳と方墳の築造形態が異なる上に、方墳南端に残された二重口縁壷形埴輪は三○○年頃の土器。

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[81] 『邪馬台三国志』の読みどころ29 〈女王ヒミコ/歴代ヒミコ/ヒミコの墓〉‥‥ヒミコの墓/女王トヨ 1

投稿者: 高田康利 投稿日:2014年 8月14日(木)07時26分53秒 eAc1Abl216.osk.mesh.ad.jp  通報   返信・引用

●女王トヨ
二四○年代末、森厳きわまる五十鈴宮には木漏れ日しか差し込まなかったことで、ヒミコは日増しに体調を崩した。それから半年と経たない内に、倭姫や近習らに見守られながら八十余年の生涯を閉じた。
饒速日は直ちに臣下らと伊勢に馳せ参じ、ヒミコに今上の別れを告げた。その場に居合わせた者は皆、纏向に立派な御陵を造り、日々これを仰ぎ見ることで、女王の徳と真ごころにふれながら生きたいと願った。
倭姫も従前どおり五十鈴宮に住み続けて、天叢雲剣・真経津鏡を奉じつつ天照大神とヒミコをお祀りしたいと請うた。以後、伊勢では天照大(御)神二柱が祀られることになる。
饒速日は纏向のホケノ山古墳にヒミコの亡骸を一時的に祭り納めると、日本朝の体制固めを急ぐ一方、上之宮真南に径百余歩(一五○余㍍)の円形壇を築かせていた。それが完成したところで、円壇中央にモガリ屋を建ててヒミコの亡骸をその中に移し祭った。と同時に、女王に忠義立てして遺言遵守を叫び続ける百余人を片っ端から捕えてモガリ屋周辺に生き埋めにした。この時の彼は、内々にこう決意していたに相違ない。
「魏の役人どもが帰国したなら、ヒミコの唱えてきた仏塔のごとく、五段重ねの石積み古墳に造り替えてみせよう」
この考えの下で、ヒミコ率いた天(厳)を日本朝にそっくり組み入れた。それと並行して、鉄器づくりの工人らに十握剣に似せた鉄剣を参列者の数だけ造るように命じた。
月日がたって、旧上之宮東の珠城(たまき)山丘陵に待ちに待った即位式場が完成した。彼はその晴れの舞台で八咫鏡(天照国照彦火明)・十握剣を神璽としてかざしながら、日本朝の開朝を宣言すると、独り倭王の座に居座っていた。つまり、自分に都合の良い遺言だけを守って、天火明遺児の豊鍬入姫を女王に立てなかった。
ここに、ヒミコの天(厳)之国王朝に代わって日本(ひのもと)の倭王朝(日本王朝)が正式に始動した。この時の彼は、まだ三十歳に達していなかった。
※二五○年頃に興った日本王朝は、五○年後の二九○年代末に、日向から東征してきた磐余彦に滅ぼされた。従って、垂仁紀、景行紀、日本武尊の条、それに神功紀にある日本にまつわる記事は、この間の出来事と見なしてよい。

ところが気ままに振舞う饒速日に対して、あちこちから轟々たる非難が湧き起こった。その背後に、役職を解かれた素戔嗚が控えていた。彼は都を抜け出て西播磨に身を寄せると、仏陀ゴータマと称して仏法による新しい国づくりを唱えていた。

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[80] 『邪馬台三国志』の読みどころ28 〈女王ヒミコ/歴代ヒミコ/ヒミコの墓〉‥‥日神の天照大御神

投稿者: 高田康利 投稿日:2014年 8月14日(木)07時18分35秒 eAc1Abl216.osk.mesh.ad.jp  通報   返信・引用

●女王ヒミコ
二二〇年代前半、都づくりが進むにつれて、奈良盆地に住む人たちは待ちきれなくなって移住し始めた。そのため、唐古・鍵、大福などの邑々は、急に衰退したかのようになった。
大物主や大己貴も早々と新都に移り住んだ。二人はこれを契機に、天火明を倭王に押し立てたい想いに駆られていた。それには、天叢雲剣を手にして祭祀権を確保しておく必要があった。
その最中に、天照大神が俄かに逝ってしまった。享年七十余歳だった。即刻、これを伝える特使が熊野にすっ飛んで行った。日神は花の窟近くで夫の訃報を耳にするや、紀ノ川沿いの山道を一目散に駆け上った。その後の彼女は舅や夫の大葬に追われたが、一息つくと夫の地位(水神天照大神)を引き継ぎ、邪馬台国の女王に立っていた。
月日が経って上之宮(巻向駅北)と呼ばれる宮殿が晴れて落成すると、素戔嗚は卿となって兵主なる最高位(大将格)に昇り、邪馬台国軍を一手に握った。と同時に、親衛隊を率いて宮殿内外の警護にあたった。太夫となった大己貴も射楯の神として都周辺や市場近辺に将兵を繰り出し、治安維持に目を光らせていた。
これ以外にも、女王を守護する体制は都を幾重にも取り巻き、厳重を極めていた。ざっと見渡しただけでも、都の北に大倭家、西と南に大神氏や三輪氏、金剛山麓に味スキ高彦根、御所に八重事代主、山城に大山咋、難波に住吉族、播磨・摂津に大山衹神、紀伊に五十猛(天日槍)、伊勢に猿田彦、さらに東海に天香山(天火明の児)というものものしさだった。
【纏向遺跡】(桜井市)、三世紀前半になると、纏向に突如として巨大な都市が出現した。その大きさは四平方㌔㍍に及び、唐古・鍵や吉野ケ里を凌いで邪馬台国時代の最大都市に発展する。
 ここから、一万枚以上の檜矢板を打ち込んだ大溝とともに、多量の土器が出てきた。その中には南関東・東海・北陸・近江・出雲・西瀬戸内沿岸の土器が十五~二〇%も占める。その半数近くが東海系の土器、ついで出雲系が多い。この都市が拡大する頃、纏向の一角に最古の石塚古墳が造られた。
【石塚古墳】、帆立貝形の全長九三㍍、円径六三㍍の前方後円墳で、周濠からは纏向遺跡初期にあたる大量の土器や、弧文円板と呼ばれる木製品が出た。これと同じ模様は楯築神社の神石にもある。

宮中での女王は、千人の侍女を侍らせる中で、祭政一途に勤しんでいた。大事を決する際には鬼道を使って夫・天照大神の神降しを行い、その御霊が乗り移ってきた状態で天照大神の言葉を口寄せした。蛭子はそれを詔として臣下に伝えたことで、天(厳)之言代主と称えられた。
女王はその鬼道に熱中し過ぎたあまり、大日孁貴(おおひるめむち)とも天照らす大日孁(女)とも呼ばれた。
貴は貴人に対する尊称、日は日の神を表す。孁は両手に玉と鈴の呪具を持ち、神がかりして先祖のお告げを語る巫女のことだ。この名自体が、「鬼道を行う日の巫女(ヒミコ)」という意になる。
この時から、大倭厳・豊葦原水穂国ら率いる厳之国王朝は、倭奴国一門の天(水)之国に呑み込まれた。だがその実体は、厳之国王朝の上に天(水)が覆い被さったものだったから、天(厳)王朝とでも呼んでおく。以後、天(水)が邪馬台国を主導し、畿内での鉄器づくりが勢いづいた。
ここに至る経緯は、厳之(いつの)御魂天疎(あまさかる)向津姫という日神の異名や、『旧唐書』倭国日本伝、「倭国は古の倭奴国なり。・・その王、姓は阿毎(あめ、天)氏なり」とも合致する。
※日神と共に高天〔日高+天之国〕〓倭国勢が大倭に移ってきた故、オロチ率いる邪馬台国に加え、日の神を奉る倭、倭国、倭女王の言葉が「倭人伝」に出てくる。

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[79] 『邪馬台三国志』の読みどころ28~35〈女王ヒミコ/歴代ヒミコ/ヒミコの墓〉の題目

投稿者: 高田康利 投稿日:2014年 8月 4日(月)09時26分27秒 eAc1Abl044.osk.mesh.ad.jp  通報   返信・引用

『邪馬台三国志』の読みどころ28~35〈女王ヒミコ/歴代ヒミコ/ヒミコの墓〉の編集が完了しました。それぞれの題目と概要は、以下の通りです。

『邪馬台三国志』の読みどころ28
〈女王ヒミコ/歴代ヒミコ/ヒミコの墓〉・・・日神の天照大御神

『邪馬台三国志』の読みどころ29
〈女王ヒミコ/歴代ヒミコ/ヒミコの墓〉・・・ヒミコの墓/女王トヨ 1

『邪馬台三国志』の読みどころ30
〈女王ヒミコ/歴代ヒミコ/ヒミコの墓〉・・・ヒミコの墓/女王トヨ 2

『邪馬台三国志』の読みどころ31
〈女王ヒミコ/歴代ヒミコ/ヒミコの墓〉・・・ヒミコの墓/女王トヨ 3

『邪馬台三国志』の読みどころ32
〈女王ヒミコ/歴代ヒミコ/ヒミコの墓〉・・・ヒミコの墓/女王 倭迹迹日百襲姫/気長足姫(神功)

『邪馬台三国志』の読みどころ33
〈女王ヒミコ/歴代ヒミコ/ヒミコの墓〉・・・女王 神功/倭迹迹姫(倭姫)

『邪馬台三国志』の読みどころ34
〈女王ヒミコ/歴代ヒミコ/ヒミコの墓〉・・・皇祖皇宗(日神夫妻)の御陵/歴代ヒミコの墓1

『邪馬台三国志』の読みどころ35
〈女王ヒミコ/歴代ヒミコ/ヒミコの墓〉・・・皇祖皇宗の御陵/歴代ヒミコの墓2

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[78] 『邪馬台三国志』の読みどころ27〈天神の御子と天孫の降臨〉

投稿者: 高田康利 投稿日:2014年 8月 4日(月)09時24分8秒 eAc1Abl044.osk.mesh.ad.jp  通報   返信・引用

『邪馬台三国志』の読みどころ27〈天神の御子と天孫の降臨〉
〈天神の御子の降臨〉(最終編)……火照(海幸彦、火明、火明饒速日)の降臨3

後に、火明(火照)は大己貴を連れて丹後宮津に到ると、豊受姫や日子坐王親子の家を訪ね歩いた。彼がそこに逗留している間、豊受姫は夫の天鹿児山や長子・饒速日に先立たれた不幸を長々と嘆いて聞かせたり、日子坐王も孫娘四人が天火明(二代垂仁)と離縁して実家に戻ってきた不運を愚痴ったりした後に、二人揃ってこう頼み入れてきた。
「豊葦原瑞穂国に天降った我が児・饒速日を襲名して下され。そなたの児も天鹿児山(饒速日の父親)や天叢雲(同じく祖父)を襲名されるが良かろう。これを縁に、義弟となる日子坐王(饒速日の弟)一門を良しなに。さすれば、当家はどこまでも饒速日について行く」
そこで、火明は火明饒速日(以後、饒速日とも呼ぶ)と名を改めた後に、宮津を発って河内東部の草香邑に天降り、その地の葦原中つ国一門を日下(ひのもと)家と改名して抱え込んだ。
『但馬故事記』、「饒速日は勅と十種の神宝を奉じて妃の天道姫・数多の随身を率い、丹波の真名井原に天降った。そこで豊受姫からもらった五穀や桑の種を植えつけたり、井戸を掘ったり、田畑を開いて蚕を育てたりした。豊受姫はこれを見て大いに喜び、田つくりの手伝いにと天熊人を遣わした。後に、饒速日はそこから河内生駒に天降った。天道姫が丹波で産んだ児を天香語山、そのまた児を天村雲という」

その後、大和川をさかのぼって纏向入りした彼は、宮殿に参内してヒミコとの接見を済ませると、鳥見に移って日本家を興した。と同時に、五十狭茅を襲名して活目入彦五十狭茅(いくめいりひこいさち)と語るや、饒速日や天火明の家督・祭器の一切合切を手にした。これで、日本と日前は互いの嫡子を取り替えたことになる。それは、二四七、八年のことだ。
暫くすると、彼は葦原中つ国系の鳥見屋姫(三炊屋姫、みかしやひめ、御炊屋姫襲名)とも婚約を交わした。この縁組によって、兄の鳥見長スネ彦(長スネ彦襲名 )は大抜擢されて日本将軍に駆け昇った。落ち目にあった大倭家は新王朝に服従を誓うとともに、大日本家と改名した。
その後の饒速日は、日本家・大神(おおみわ)家の家長を兼ねて日本大物主大神と語り、権力を欲しいままにした。大己貴も大神大物主となって政の采配を振るった。ここに、天地に似る王朝が成った。
「神武紀」、「饒速日命、天磐船に乗って大空を巡り行きこの郷(くに)に天降った。よって、『空見(そらみ)つ日本の国』という」
『先代旧事本紀』、「天神の御祖(みおや)、詔して、天璽の瑞宝(みづたから)十種を授く。・・
饒速日尊、天神の御祖の詔をうけて、天の磐船に乗りて、河内国河上哮(いかるが)峰に天降り坐し、則ち大倭国鳥見の白庭山に遷り坐す。いわゆる天の磐船に乗りて大虚空(そら)を翔(かけ)り行きてこの郷(くに)を巡りに睨(おせ)りて天降り坐す。饒速日尊、便ち長スネ彦の妹御炊屋姫命を娶りて妃と為し、妊胎(はらま)したまふ」
『旧唐書』「倭国日本伝」、「倭国は古の倭奴国なり」、「その王、姓は阿毎(あめ)氏なり」、「日本国は倭国の別種なり」、「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」
※『先代旧事本紀』のこの記事は、饒速日の降臨と火明饒速日のそれを重ねたもの。
※26~27の記事にあるごとく、火明饒速日は火明や饒速日のしぐさを演じつつ、日向から大倭に天降ったのである。
※ヒミコが火照を大倭に呼びつけた目的は、道半ばの倭奴国王朝再現を満願成就させることにあった。

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[77] 『邪馬台三国志』の読みどころ26〈天神の御子と天孫の降臨〉

投稿者: 高田康利 投稿日:2014年 8月 2日(土)09時38分12秒 eAc1Abl035.osk.mesh.ad.jp  通報   返信・引用

〈天神の御子の降臨〉(最終編)……火照(海幸彦、火明、火明饒速日)の降臨2

●火明饒速日の天降り
大己貴は自ら情熱と真ごころを込めて帝王教育まで施した天火明が、ヒミコに背いたことで心を痛めていた。そのことで、出雲の片田舎に引きこもっていた。その彼も月日が経つと、昔を思い出しては愚痴まじりの自慢話をするようになった。
「少彦名(天火明)がいない今、私以外にこの国を治める者などいるだろうか」
暫くすると、火明(火照)が仰々しく飾り立てた王船の帆柱に光輝く鏡を掲げながら、出雲の杵築湊に入って来た。妃となる天道姫もその王船に乗り込んできた。ついで天(日)勢、女神大山衹神一門らの船がひっきりなしに入港してきた。火明は稲佐浜に上陸すると、大己貴を呼び出して責め立てた。
「この火明は中つ鏡・辺つ鏡など瑞宝十種だけでなく、天鹿児弓・天羽羽矢も奉じて、大倭に天降って行くところだ。いずれ日本家を興して倭王に昇り、新王朝をうち立てる身にある。大己貴はこれまでと同様、育ての親として大物主の任務を全うせよ」
 ヒミコは大己貴の大言壮語を耳にして「まだ政に未練がある」と察知すると、火明を出雲に立ち寄らせたのだった。大己貴も、彼が火明と名のった上に、瑞宝十種や天鹿児弓・天羽羽矢を振りかざしたとあっては、ひたすら平身低頭する他になかった。
『日本書紀』、「大己貴命、少彦名命に謂(かた)りて曰わく、『吾等が所造(つくれ)る国、あに善く成せりと謂(い)わむや』のたまう。・・その後に少彦名命、行きて熊野の御碕に至りて、遂に常世郷に適(いでま)しぬ」、
「大己貴神、遂に出雲に到りて・・時に神(あや)しき光海に照らして、たちまちに浮び来る者あり。曰わく、『もし吾在(あ)らずば、汝何ぞ能くこの国を平(む)けましむや。吾が在るに因りて故に、汝その大きに造る績(いたわり)を建つこと得たり』という。大己貴神問いて曰はく、『然らば汝は是誰ぞ。・・今何処にか住まむと欲(おも)う』とのたまう。対えて曰わく、『吾は日本国の三諸(みもろ、三輪)山に住まむと欲う」。これ、大三輪の神なり」
※前者の少彦名→常陸に逃亡した天火明。後者の少彦名→火明饒速日
この記事は、天火明、火明饒速日の事績を継ぎ足したもの。

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[76] 『邪馬台三国志』の読みどころ24〈天神の御子と天孫の降臨〉 〈天孫降臨〉……彦火明の丹後・大倭遷座

投稿者: 高田康利 投稿日:2014年 8月 1日(金)06時37分32秒 eAc1Abl035.osk.mesh.ad.jp  通報   返信・引用

⑧-2その直後、日神も素戔嗚と共に纏向に向かった。同じ頃、大己貴が彦火明(天火明)に随伴して丹後宮津から大倭に遷った。

猿田彦が高千穂宮に舞い戻ると、次に日神一行を邪馬台国に先導する役目が待ちうけていた。その警護役として、経津主と武甕槌が抜擢された。
二二〇年代前半、日神は天(水)一門・住吉族らと一緒に高千穂宮を出立した。一行は五ヶ瀬川沿いの険しい山道を西に向かって進み、熊本平野を見下ろす辺りから北上した。ついで筑後川に沿って博多湾に到ると、そこから船に乗って響灘に乗り出した。さらに日本海を巡る長い船旅を続けた後に、隠岐島を経由して出雲稲佐浜にたどり着いた。
☆待場神社(島根県隠岐郡西ノ島町浦郷三度)、神代の昔、天照大御神が天宇受売命を従えて降臨した折、出迎えた猿田彦命と三度目に出会えたことで、三度(みたべ)の地名になったという。猿田彦を祭る待場神社も、天照大御神を待ち続けた場所に由来する。

浜辺には、素戔嗚が八重事代主・味スキ高彦根・大山咋を従えながら、千余の兵と共に待機していた。日神はそこの岸辺に船を寄せると、猿田彦や素戔嗚に順次命じた。
「猿田彦は、丹後の宮津まで道案内に立て。宮津に着き次第、直ちに伊勢に降って私たち夫婦の天降り準備を進めておけ。素戔嗚は新都に移り、天下づくりの補佐役に就くように。葦原中つ国の統治は振り出しに戻して、猿田彦の児に継がせるから安堵するがよい」
続いて日神一行が津々浦々を経由して丹後宮津に到ると、大倭や播磨から駆けつけてきた高皇産霊・天火明・大己貴、それに出石の天日槍がそろって迎えに出てきた。
その後、日神は夫の勧めるままに丹後宮(籠神社の地)にしばし滞在していた。夫の方は、大己貴警護の下で大倭に引き返すや、天照大神の立場に戻った。猿田彦はその足で伊勢の二見へ旅立った。
以後、天照大神は味スキ高彦根・八重事代主に厳重警護される中、金剛山東麓に仮住まいしつつ、新都造営・大葬準備・日高見建国に向けて矢継ぎ早の指示を出していた。
「海部氏系図」、始祖彦火明 ─  ○ ─ ○ ─ 三世孫倭宿禰─武振熊
戦前には問題視されて門外不出とされた。だが戦後になると、その価値が見直されて、国宝に指定された。これには理由がある。この系図と『古事記』の系譜を重ねると、記紀系譜を根底から覆すものが浮かび上がってくるからだ。(→本書の王系譜と合致)
『日本書紀』、「大己貴命と、少彦名(彦火明)命と力をあわせ心を一にして天下を経営(つく)る」
『古語拾遺』、「大己貴神〔一の名は大物主神。一の名は大国主神。大和国城上郡大三輪神是なり〕」
「出雲国造神賀詞」、「大穴持の申し給わく、『皇御孫尊の静まり坐さむ大倭国』と申して、己の和魂を八咫の鏡に取りつけ、倭の大物主、櫛甕玉尊と称えて大御和の神奈備(大神神社)に坐せ、」
「大神神社の祭神」、大物主大神(三輪大物主、倭大物主、大神大物主、日本大物主大神)、大穴持・大己貴、少彦名を祀る。本書では、倭大物主は天照大神、日本大物主大神は火明饒速日、大神大物主は大己貴、少彦名は天火明と見た。

『古語拾遺』、「猨田彦神が天鈿女命に、『(天孫を薩摩にお送りした後は)、伊勢の五十鈴川上に参ります』と秘密をもらした」、
「天照大神が伊勢で祭祀されたには、深いわけがある。それは、天照大(御)神が高千穂にいる時に前もって密約していたことだ。それで先ず猨田彦神が伊勢に降った」
『古事記』、「猿田彦は、(二見ケ浦の)アザカで漁をしている時、貝に手をはさまれて溺れ死んだ」
※要するに、高千穂宮で日神を奉った高天、即ち倭の主勢力は大倭に移ったわけだ。

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[75] (無題)

投稿者: 高田康利 投稿日:2014年 7月12日(土)13時54分3秒 eAc1Abl026.osk.mesh.ad.jp  通報   返信・引用

『邪馬台三国志』の読みどころ
ホームページ中の参照資料をdocからpdfに置き換えることで、読みやすくなりました。
天地創造の神話/倭奴国/金印漢委奴国王の読み/天地/古の倭奴国)/日本国/熊曾熊襲
についても、16ページにわたって掲載しています。ぜひ、ご覧ください。

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