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Re: なにゆえかーわしは知らんと神のたまふ

 投稿者:南山鳥27  投稿日:2017年12月13日(水)23時44分37秒
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  > No.194[元記事へ]


昨日、濠悶氏への返信として、色々書いていると、訳の分からない文書になって
来たので、それは投稿をやめた(というか、掲示板で、気楽に返信として書ける
ような内容ではない)。

途中までを以下にコピーして記します。

インドのウパニシャッド哲学だとか、釈迦仏陀の悟りだとか書いて、この後、ソ
クラテスが何で、プラトンがどうで、イスラエリの預言者あれこれ、初期キリス
ト教の考えでは、ヘレニズムの知的混沌がどうとか、グノーシスの開示は何であ
るとか書いていると、まじで、和気若メールになってきた。(「なにゆえか、父
よ」というのは、西欧やオリエント、インドやペルシアの哲学や思想、宗教で、
3千年以上前から議論されていて、かなり普遍的であり、また複雑な意味がある
ということを書いていたのです。複雑さのなかに踏み込んでしまったので、収拾
がつかなくなった。独立した「説明文・簡易論文」として組み立てないと、こう
いう話は説明できない)。

と、そういうことで。

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> 小松左京が出てきましたね。
> そんな印象です。詳解省略。

小松左京氏というより、「なにゆえか?」というのは、実存主義の端的
な実存への問いの言葉で、小松のオリジナルではないです。SFファン
は多分、発想や教養が素朴なので、小松左京とかが出てくるのだと思い
ます。ただし、『果てしなき』を青年期に読んで、それなりに感動を覚
えると、この話の最後のシーンと共に、この言葉が印象付けられてしま
うとも言える。

もともと、西欧の哲学・思想の歴史では、かなり一般的な問いの言葉で、
「父よ、なにゆえか」と書くと、小松左京の作品のラストが出てくる人
がいるとは思うが、他方、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの『マタイ
受難曲』の最後のあたりで、十字架上のイエズスが、「エリ・エリ、レ
マ・サバクタニ」と叫ぶのですが、これを、福音書記者が、ドイツ語で
「mein Gott, mein Gott, warum hast du mich verlassen? 」とレチタ
ティーヴォでうたう。「わが神、わが神、なにゆえ、われを見捨て給う
や?」というような意味で、これは、『マタイ福音書』の該当箇所に、
アラム語かヘブライ語の音写が出て来て、その意味の解説で、コイネー
ギリシア語で、「テエ・ムウ・テエ・ムウ(わが神、わが神)」という
形で、意味が出てくる。これをドイツ語に訳したのが上の句で、イエズ
スは別の場所では、「テエ・ムウ(わが神)」を、「アッバ・パテール
(アッバ、父よ)」とも呼ぶので、「わが神=わが父」と同じで、「父
よ、なにゆえわたしを見捨てられるのか?」というのは、小松左京が書
くずっと前から、こういう言葉は存在していた。

「なにゆえか?」というのは、ハイデッガーの文脈だと、多分、「被投
性」の根拠への問いかけの言葉になる。「被投性」というのは、我々現
存在は、我々として意識を自覚すると、何故か「この世界に投げ込まれ
ていた」、しかし「それはなにゆえか?」という問いを含む。
古代のグノーシス主義において、「被投性」という言葉は無論使わない
が、「何故、わたしを、この悪の宇宙に投げ込んだのか?」という問い
は存在した。というか、この痛切な認識がグノーシスへの覚醒の契機と
してある。

現存在のありようについて、「なにゆえか」と問いかけるのがグノーシ
ス主義で、現代の実存主義も、同じ発想の上にあるので、現代の実存主
義は、近代的装いを持つ現代のグノーシス思想だとも言える面を持つ。

ところで、現存在の存在根拠を尋ねると、実存の問いになるが、存在の
存在根拠を尋ねると、形而上学になる。
この現存在の根拠と、存在世界の存在根拠の問いは、哲学や思想の普遍
的な主題で、古代ギリシア哲学も、これらの問いに始まり、これらの問
いの答えの探求で終始する。イスラエリの預言者達の思索も同じような
問題を唯一神を前提に問いかけ、『ヴェーダ』の思索も、この問いを尋
ね、ウパニシャッド哲学は、問いに対する答えを森の奥で教えてやると
云う哲学文書です。ブラフマ文献も、サーンキヤ思想も、シャーキャ仏
陀の探求も、マハーヴィーラの修行も、これらの問いに対する答えを求
めている。

…………

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というような感じです。

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