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*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


過放電ですね

 投稿者:濠門長恭  投稿日:2018年 4月23日(月)20時40分42秒
返信・引用
   ハローワークへ行く道すがら、電車の中での読書にと。「村上水軍の娘1」文庫本を買いまして。ヒロインの醜女のなんと魅力的なことか。物書きとして分析不可能。
 書きすぎて、抽斗総浚えにしとるなあと、痛恨の痛感。通婚の通貫はさておき。
 あれこれ読んで、ちっとは実践(何を?)して、充電しなけりゃなあと、思ったのであります。
 目指せ、年間(マンネリにならずに)3千枚!!!

http://haruoni.seesaa.net/

 
 

3334[槓違い]

 投稿者:濠門長恭  投稿日:2018年 4月22日(日)23時27分3秒
返信・引用
  2018年執筆は「姪奴と甥奴(後編)]からです。まだ1085枚です。
FST=200×3,SMT=300で、やっと(?)1700枚です。絶後には程遠い!

http://haruoni.seesaa.net/

 

絶後の縮緬問屋

 投稿者:濠門長恭  投稿日:2018年 4月20日(金)20時34分28秒
返信・引用
  非国民の烙淫(凄惨拷問編) 220
姪奴と甥奴(前編)     312
姪奴と甥奴(後編)     227
強制入院マゾ馴致(前編)  341
強制入院マゾ馴致(後編)  289
女囚双虐          228

2018年の1/3ですでに1,600枚突破。
まあ、これからは在宅勤務而実態砂暴利とか有給完全消化とか絶賛失業中とかでなくなる予定というか、ならないとなりませんので、そうも書いてはおられんでしょうが。
Family SM Triangle 200x3くらいは仕上げて。SMツアー半完成原稿300枚ほども確定させれば。年間2,500枚です。枚数だけなら、中堅どころのプロ作家並。実入りは1ケタちょい(まで、追い上げてる?)違いますけど。

 ま、5月か6月からは、通勤片道1時間くらいで、スマホではなく文庫本とか読みふけって、数年先のためのネタ仕込みの予定です。

 お話かわって。たぶん、この掲示板は見てないでしょうが。
 篁はるかさん。「お加代」上梓おめでとうございます。なんたって紙媒体ですもんね。

http://haruoni.seesaa.net/

 

僕の痛セクスアリス

 投稿者:濠門長恭  投稿日:2018年 3月21日(水)18時33分50秒
返信・引用
  このネタは、こっちの板のほうが正解かなと直感で。
「戦闘詳報」に書きましたが。
おろろきました。『僕の痛セクスアリス』が、unlimitedでの閲覧でなく[買えるもんなら買ってみやがれ価格設定]¥1200で売れましたまうえななめ。入金確定(たまに返本があるが、それもクリアってことです)。手取=¥1,200/1.08×70%-¥1(配信コスト)=¥777Fever!
これぞまさしく空前絶後やも。

http://goumonchoukyou.blog.fc2.com/

 

KINDLE補足

 投稿者:濠門長恭  投稿日:2018年 3月14日(水)10時52分52秒
返信・引用 編集済
  登録の流れから出版時の注意点などをまとめたサイトがあったので。
https://blog.sixapart.jp/2013-05/KDP-troubles.html

あっと。良く読むとかなり古いです。税金は書いてあるような手続はしなくても源泉徴収も消費税も二重に取られることは無いです。それと、今現在はルビ可能&傍点不可です。強調文字OKで色文字がペケ。特種フォントは知らん。
『強制入院マゾ馴致』で入院患者の感想文を教科書体とかナンタラ楷書体とか使ってるので、そのとき試します。

http://goumonchoukyou.blog.fc2.com/

 

↓KINDLE簡単

 投稿者:濠門長恭  投稿日:2018年 3月 6日(火)18時41分29秒
返信・引用
  AMAZONのID持ってれば、簡単に登録できます。
ややこしいのは、米国の税金関係だけ。拙はテキトーに入力して通過しました。アウチになったところで、海外からの入金(これまでに300円くらいあった)が詰まるくらいで、国内の売上分には影響しません。
KINDELのうざいとこは、コンテンツポリシーとやらに違反したとき、どこがどういかんのか遺憾ながら教えてくれません。
ランドセルペケとかJapaneseSamuraiの略でもJSはあかんとか(J.S.は良し)。一切ないので、最初の頃の表紙絵にはお寺と神社(参りました)。
また、数年にわたって販売してきた書籍がいきなりブロックだの挙句はアカ凍結だの喰らうことがあります。まあ、だいたいはJS妊娠のお話らしいですが。
どうも、出版済みの書籍も抜き打ち巡回チェックしてるようですね。戦闘詳報に書きました。
あと銃姦もヤバそう。
拙は表紙絵にはホンバンとか笛吹とかは描かんようにしとります。

とにかく、出さないことには産めません。いえ、妊娠の話ではなく。

http://goumonchoukyou.blog.fc2.com/

 

お久しぶりですね

 投稿者:南山鳥27  投稿日:2018年 3月 4日(日)07時59分25秒
返信・引用
 
この掲示板に投稿するのも、二箇月ぶりですね。

ともあれ、まだ掲示板管理者は存命しています。死去した際は、掲
示板ではなく、ウェブサイトなどが消えて行くはずです。ただ、支
払いが一箇月ぐらい遅れても、ISPなどとは、契約解除とはすぐ
にはならないかも。二箇月ぐらいしてから、サイトなどは消えて行
くかも。

>いや、まあ。あまり、こういうことを考えすぎると、つまり読
>者に媚びる結果に陥るのでしょうか。小説執筆40年にして、
>初めて本気で営業的観点で考えてみたわけです。

「小説執筆40年にして、初めて本気で営業的観点……」ここは、
「本気」というのが重要なキーポイントなのかも知れませんね。
「営業的」にはずっと考えて来ていたはずだと思います。

わたし自身が「営業的観点」でずっと考えて書いていたのですが。
そんなはずはないという人がいるかも知れませんが、本当のことで
す。「読者を選ぶ」というのはあったかも知れないが、それは、ど
んな商業作家も大なり小なり選んでいる訳で、程度の問題に過ぎな
い。

さる人に、「南山鳥27節全開」と評言されたが、それは、どういう
意味か色々な解釈があるが、ネガティヴかポジティヴか、ともかく
非常に特徴があるということで、これも重要なポイントです。そし
て、そういうスタイルを造って来たのだ、と云うこともあるでしょ
う。

わたしもKINDLEでは、何か売りだそうと思っていますので、
何時になるか分かりませんが、先達であられる濠門先生には、宜し
く登録方法など、ご教示願えればと、思っております。何か結構難
しいようですので。

ところで、同人誌の会は、小説や評論、文芸に関わる実作を志す人
が同人な訳です。ここ二箇月ほど、沈黙していましたが、それは掲
示板でのことで、創作・評論・文芸に関しては、色々と模索したり
していたので、何もしていなかったのでも、同人を放棄したのでも
ありません。掲示板に投稿することが、文芸活動とはいえない訳で
す。

_ Lyra

 

穴埋め(変な意味じゃなくて)

 投稿者:濠門長恭  投稿日:2018年 3月 3日(土)19時22分8秒
返信・引用
   Blogだったらスポンサーの広告が割り込んでくるくらいカキコ間隔が空いてるので雑談。
 「初心妻志願奴隷」KINDLEでは、1か月で累計ダントツなくらいKENPCを稼いで、単行本としても、アレヨアレヨで10冊以上売れたのに。
 DLsiteでは、やっと1冊。
  ということは。
それなりに(と、ケンソン)一般受けはするけど、拙の偏った趣味の固定ファンには受け容れられんかった。ということでしょうか。
 いや、まあ。あまり、こういうことを考えすぎると、つまり読者に媚びる結果に陥るのでしょうか。小説執筆40年にして、初めて本気で営業的観点で考えてみたわけです。
 詳細は、戦闘詳報に書き散らしとりますので、そちらへどうぞ。
http://haruoni.seesaa.net/article/457325155.html
 結論としては。ちょこっとだけ営業視点を交えつつ、「書きたいものを書き、掻きたいときに掻く」です。
 つまり、これです。
http://goumonchoukyou.blog.fc2.com/blog-entry-90.html

http://goumonchoukyou.blog.fc2.com/

 

年間1500枚!

 投稿者:濠門長恭  投稿日:2018年 1月22日(月)21時29分25秒
返信・引用 編集済
   何時何を何枚書いたか、数年前の記憶とて怪しくて。ファイルの更新日時も「脱稿」「改稿」「どこぞへの応募」とかで上書きしてるので信用できなくて。時系列と整合させる試みを始めているのですが。記憶に新しい2017年は……(有効数字2桁で)
僕はパパの……170枚
ママと歩む……300枚
非国民の烙……530枚
姪奴と甥奴……530枚 厳密には最終部分2018年01月
年間1500枚です。空前です。絶後にはしたくないです。
SM小説を書きに書いたり(since1985)8200枚。
文庫本1冊400枚なら、せいぜい20冊ですか。
ワンマン同人活動としてなら、ちょっとしたものです。
プロパーを気取るには、まだまだ。
通算1万枚到達時にどうなっているか。
現状エクスポレイトすれば、年間20諭吉?
50諭吉にしてえなあ。と思ふので蟻mass。

 現在は、他サイトと同一版で出したKDPの増補改訂版Unlimited狙いの作業中。「少女博徒」と「ピンク海女」と「偽りの殉難」は作業完了して(表紙絵も一新)。現在は「足入れ婚」編集中。2月第1週までには「幻夢」も「1/16」も「大正弄瞞」も「全裸突撃」もやっつけて。爾後ロリマゾ書きながら時給1500円以上フルタイムを探しながら……最悪4月から180日間は樋口一葉/日です。ライトセーバーを振る境遇にはなりたくないです。
 

新年に乾杯

 投稿者:やむ  投稿日:2018年 1月15日(月)21時02分25秒
返信・引用
  1月21日阪急淡路駅西口前午後4時

お待ちしております。

 

2018年のメロデス

 投稿者:南山鳥27  投稿日:2018年 1月 6日(土)16時57分24秒
返信・引用
 
メロス melos というのは、古代ギリシア語で 「音楽・旋律」という
意味だったと思う。メロデスはその複数形だと思うが、違っているか
も知れない。
「愛天使伝説ウエディングピーチ」のオープニングでは、最後にウェ
ディング・ベルが鳴り響くが、鐘の音は、人の死のときにもあると言
える。新しい年を迎えると、一歩地獄に近づくのか、一歩極楽に近づ
くのか定かでないが、地獄か極楽かは別に、死に近づくことは間違い
がない。

死は必ずしもネガティヴなものとは限らないが、死に対する恐怖は、
寧ろ、意識は持っているのが自然だと言える。過去に何十億人、何百
億人もの人がすでに死の向こうに消えたのが事実としても、「私」と
いう個的意識と自我は、同じものが何十億もあるわけではなく、それ
どころか、何十でさえない。「私」はただ一つしかない。これは自我
にとって譲ることのできない事実である。

しかし、死をめぐるこのようなスペキュレーション(あえてピロソピ
アとは云わないとして)は、同じ論理あるいは推論水準で、「私」に
は死は訪れないという結果も導き出せる。「死」というのは、常に、
他者の死で、わたしが観察する、あるいはそのような現象を知識で知
るものでしかない。「私自身の死」は、わたしには経験したり、知識
として知ることはできない。

経験や認識の主体であるはずの「私」の意識機能の停止あるいは消散
を「私の死」は意味するはずだからで、そうすると、エピクーロス派
の哲学あるいは神学が語るように、「私には死はない」ということに
なる。三十数年前、その言葉を述べた人は、考えると、それから十年
も生きていなかったように思う。エピクーロス的な死の不在の説明を
聞いたとき、それは言葉の遊びか誤魔化しのように思った。

しかし、三十年以上が経過してみると、エピクーロス的な言葉は、別
の意味を持っているのではないかと思えた。エピクーロス的な「死の
不在テーゼ」は、「私が生きているとき、死は私にない。私が死んだ
とき、自己の死を認識する私がいない」それ故に、「死は私には存在
しない」という言表である。「私の死」を「死の恐怖」と置き換えて
もよい。

死んだ人はどこに行ったのだろうか、と疑問に思うこともある。意識
は、構造体であり、死とはこの構造が崩れ消散することであれば、死
んだ人はどこかに消えたのではなく、構造が消散して無となったのだ
と云うのが正しいのかも知れない。私も、死を通過して、意識や自我
は崩れ無へと消散するのか。エピクーロスのテーゼをこのように解釈
すると、やはり死は恐ろしいことになる。無への消散とは、永遠にわ
たる空であり、無ではないのか。目覚めることが決してない眠りに入っ
て行くことは、恐怖ではないのか。

此世的な思考だと、個々人が何時死ぬのか不明であるが、十万人の統
計母数をとって数えれば、毎年、数千人ぐらいの人が死んでいる。一
年時間が経過すれば、統計的な積算では、個人の平均余命は、一年短
くなる。別に新年を迎えたから、一歩死に近づくのではなく、通常の
一日の経過であっても、やはり統計的には、死に一歩近づいて行くこ
とになる。誕生したときから死への歩みは始まっているとも言える。

エピクーロスのテーゼは別の解釈もありえる。死を恐怖しても、懼れ
ることなく、愁いなく日々を過ごしていても、何時か、死の境界を通
過してしまうときが来る。私は「不死」で「死はない」と確信するこ
ともあるかも知れないが、不死だと確信したまま、死の境界を通過し
ていることがある。つまり、死を懼れても、懼れなくとも、死は避け
られないと信じても、不死だと確信しても、何時のまにか、死の境界
を通過している事態が起こりえるし、起こることが必然のようにも思
える。

それでは、死は避けることのできない運命・定業なのか。「私は死な
ないという確信」は、死は運命ではないということを意味する。つま
り、意識の自己認識と自我である魂の自覚においては、「現実」は、
客観的ではありえない。それは主観的現象となる。毎日、何千人、何
万人、何十万人の人が死んでいるというのは、主観的な現象事実では
ない。客観性を仮定した上での主観的な空想だとも言える。そして、
奇妙なことは、そう考えていて、何時しか死の境界を越えているだろ
うと云うことである。私に死はないが、私は死んでいることになる。

エピクーロス派のテーゼの「別の解釈」というのは、このような見方
であり、死の認識である。死んだときは、意識がないので「死は私に
はない」のではなく、死と生の境界は厳密には主観性にあり、死の境
界を通過して、死んでいることになるというのは、客観的な措定に過
ぎない。ドクサであるということになる。

これが、どう魂の不死だとか、主観的には死はないというようなテー
ゼに繋がるのか、これ自体が主観的な認知になる。これまで何百億の
人が死んで行った。だから死を恐れても仕方ないというのは、客観性
を前提にしている。そのような信仰もあると思える。しかし、主観的
には「死はない」というのも事実である。死なないが、何時かいなく
なっている。明日かも知れないし、十年後かも知れない。椅子に座っ
て考え事をしていると、何時の間にか眠っていて、ふと、眠っていた
のかと気付くことがあるが、死とは、何時のまにか死んでいて、ふと
気付くことがあるのかないのか分からない現象である。

これを此世的、物質的、あるいは客観的に考えると、死んだ後で、肉
体は崩壊し、大体普通の場合は、火葬場で灰と骨になり、やがて、構
造は消散し、無となるということになる。しかし、主観的な認識世界
においては、これは、他者の死の後で観察されることで、「私」は火
葬場で灰になるのか、どこかの山奥で、野犬などに食べられて、肉体
は分解して土に還るのか、それは夢だとも言える。

エピクーロス派のテーゼの別解釈という表現ではカバーできない、色
々な可能性が残っている。死は休息だと言えるし、救いだとも言える。
死の向こうの人を誰も追うことはできないし、完全な逃走は死によっ
て可能となる。これは自殺学の本に書いてある、自殺の動機の一つで
あるが、主観的には真理だと云わざるを得ない。いったん死ねば、二
度と意識が戻ることはない、「私」は無に消散するのだというのは、
客観的な思考で、空想だとも云える。

ベルグソンは、精神と肉体にはずれがあり、一致していない、そこに
精神の不死性あるいは肉体に対する独立性があると云う考えだったと
聞いたが、実際はどうなのだろうか、とベルグソンを研究していた人
に、昔尋ねたことがある。良く分からない、というのが返答だった。
「死」については、いま考えても仕方ないだろう。そのうち死ねば、
死後の世界とはどういうものか、あるのかないのかも分かるので、死
ぬのを待てばよいと、その人は云っていた。

人は必ず死ぬと考えても、私は永遠に生きると考えても、あるいは死
を恐れても、死を心待ちにしても、いずれにせよ、主観的には死は存
在しないし、死の境界は何時かは知れないが、やがて通過している。

こころを安らかに持つことしかないであろうと思う。
これを、2018年のはじまりのメロデスとして記す。


_ ノイス・フォン・ストラファーン

 

明けまして、おめでたいかなあ?

 投稿者:濠門長恭  投稿日:2018年 1月 1日(月)08時05分48秒
返信・引用
  正月は 地獄の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

 まあ、本人がおめでたいから、いいんですけどね。

http://haruoni.seesaa.net/

 

2018年、新しい年に幸いを

 投稿者:南山鳥27  投稿日:2017年12月31日(日)23時28分59秒
返信・引用
 
時間の経過は、一見あまりにも速く過ぎ去るように思える。
しかし、生きて来た時間の、そのときどきのことを回想する
と、人生の時間は決して、「飛ぶ矢」のように過ぎ去って行
く訳ではない。

私たちは、時間のなかで、一歩一歩の経験や試みを通じて、
内実のある生を生きて来た。世俗的な成功とか成果とかは、
無関係に、実存のありようとして、人は創造的な瞬間瞬間を
経過して生きているので、決して、過ぎ去った時間に、後悔
することが多々あったとしても、それは無意味なことではな
い。逆に、世俗的な成功をいかに積み重ねても、行き着く先
は、古代の伝道者が語ったように、塵なる無である。

しかし、「無」はまったく何もなくなる訳でもない。ただ、
人の魂に応じて、死後は、新しい時間の可能性を開いている
とも言える。

生きていくことの望みや希望は、死の直前にまであり、死を
経過した後でもおそらくあるのだと思う。

新しい年を前にするこのときにあって、不吉なことを書いて
いるような印象もあるかも知れないが、メメント・モリ(死
を忘れるな)は、生きているものの最大の銀言である。

この世の光と闇は、共に、表裏にある。厳粛で神聖なときで
あればこそ、人の実存の姿に思いを致すのが当然でもある。

とまれ、人の定めは様々であっても、いまこのとき、各位に、
新しい年の祝福と幸いのあらむことを冀います。


新たな年を迎えるにおいて、各位にあられましては、「光」
の惠みが、その日々の生にありますように。

2017年の最後の日に、かく記し、
主の祝福をかく冀います。

幸いなるかな心貧しき者、
天の国は爾らのものであろう。


南山鳥27 et ノイス・フォン・ストラファーン
a 23:20 en decembre, 2017

_ khaire

 

皆様、酔い落としを

 投稿者:濠門長恭  投稿日:2017年12月31日(日)16時52分11秒
返信・引用
  結局、こうなります。暇つぶしに無関係の画像など。
ゴムカタパルトで発射して、高速時には風圧で閉じている → が、上空で開いて、背中の「ばんぱくくん」を射出する予定でしたが、発射直後に射出されて、計画は失敗。

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Re: みみっちいけれど

 投稿者:南山鳥27  投稿日:2017年12月27日(水)19時10分11秒
返信・引用
  > No.203[元記事へ]


それは朗報ですね。
1週間前に聞いたときとは、2倍から2.5倍増えている。
問題は、今後この勢いがどうなるのか。更に、宣伝効果で、
売り上げが上昇するのか、下降するのかですね。

ロングテイル・ビジネスだったのが、最近は、何でも百貨店
みたいになってきたアマゾンジャングルですが、ロングテイ
ルは、何万冊、何十万冊の書籍についてのビジネス・スタイ
ルで、キンドル・セラーにも、このロングテイルが有効かど
うか、不明。

多様な領域の書籍を扱えば、ロングテイル・ビジネスは成立
するが、ポルノ・キンドルだと、客層がある程度決まってい
る。つまり、ある程度の時間で、客層・ターゲットは、品物
にはほぼチェックが終わる。さらには、新規投入であるが、
十、二十とは、なかなかに投入できない。

ということで、今後どうなるかですね。

_ mrd


> ブログで金額まで書くと恥晒しなので、ここでコソッと。
> ちょっと、現在の業容をまとめてみます。
> KINDLE 単行本 5千円 KENPC 1万円
> DLsite 3千円~5千円
> D M M  2千円
> 楽天KOBO 1千円(?)
> BOOTH  2千円(?)
> (?)はデコボコが大きいし累積データが無いので推測値。
>  でも、BOOTHで、開店1週間で2点、1188円の売り上げ発生は事実。
>  楽天はロイヤリティ70%、BOOTHは90%以上なので、先が楽しみかも。
>
>  つまりは、月商2万円~2.5万円。
> 『DLして!』を書いてた頃から見るとひと桁成長してます。
>  でも、まあ。あとひと桁は無理ですね。といいつつ、内心……?
 

みみっちいけれど

 投稿者:濠門長恭  投稿日:2017年12月27日(水)15時54分19秒
返信・引用
  ブログで金額まで書くと恥晒しなので、ここでコソッと。
ちょっと、現在の業容をまとめてみます。
KINDLE 単行本 5千円 KENPC 1万円
DLsite 3千円~5千円
D M M  2千円
楽天KOBO 1千円(?)
BOOTH  2千円(?)
(?)はデコボコが大きいし累積データが無いので推測値。
 でも、BOOTHで、開店1週間で2点、1188円の売り上げ発生は事実。
 楽天はロイヤリティ70%、BOOTHは90%以上なので、先が楽しみかも。

 つまりは、月商2万円~2.5万円。
『DLして!』を書いてた頃から見るとひと桁成長してます。
 でも、まあ。あとひと桁は無理ですね。といいつつ、内心……?
 

ダースベイダー!

 投稿者:濠門長恭  投稿日:2017年12月22日(金)06時16分57秒
返信・引用
  ではないです。
駐車場とか工事現場で誘導してるオジイチャンとかです。
PIXIVは電子書籍の表紙絵とか。
https://www.pixiv.net/member.php?id=29042999
これでうまくいかんかったら、R18指定して濠門長恭をユーザー検索するよろし。

http://haruoni.seesaa.net/

 

Re: 遥けくも来たものかは

 投稿者:南山鳥27  投稿日:2017年12月21日(木)23時08分23秒
返信・引用
  > No.200[元記事へ]


以前に聞いた処では、光る服をまとい、暗闇のなか、ライトサーベルのような棒を
振る仕事があるとか云っていたが。「スターウォーズ」の世界ではないかとも思っ
たが、何であったのか。

ハードロープ・ファクトリのリンク集の先を少し見に行くと、過激というか、何を
考えているのだろうかというサイトやブログが多い。

線路は続くよ、どこまでも、ではないが、まだまだ先が長い。わたし自身は、そん
なに先がないが。

今日、もう起きようと思い、部屋が寒いので、エアコンをリモコンで入れて、布団
のなかで部屋が暖まるのを待っていると、電話の呼び出し音があったが、布団から
出るのも面倒なので無視した。だいぶ鳴り続けていて、そのうちやんだ。もし重要
な電話なら、またかかって来るはずであるという前提であるが、そうではないかも
知れない。

>  PIXIVで大化けは(PIXIV→硬式ブログ→電子書籍お買い上げ)……無理だろうなあ。

PIXIVに何の投稿をしているのだろうか。
年末のせいか、色々と慌ただしいと思う最近の日々である。

_ mrd



 

遥けくも来たものかは

 投稿者:濠門長恭  投稿日:2017年12月21日(木)21時05分30秒
返信・引用
   5月にDLSsiteデビューして。夏からはKINDLE拡張して。10月にはKDPセレクト本気投入して。ついにはPXIVまで絵を貼って。
 これまでの四半世紀に溜めたパワーを全開投入。
 で、月額1万かそこらじゃ、まあ、それが拙の実力かと。
 しかし、まだまだ。即時実戦モードのPLOTだけでも半ダース(すこし鯖読み)。
 来年1月は、まだ月給盗りで、すこしは仕事もするけれど。2月3月は40日の有給消化で全休で。4月からは就職活動とか。まあ、CAD関係で時給1500円なら、いけるかな。でも1日8時間+通勤時間。
 2月3月にストック書いて、せめて月額2万円の足場は築いておきたいものです。
 PIXIVで大化けは(PIXIV→硬式ブログ→電子書籍お買い上げ)……無理だろうなあ。

http://haruoni.seesaa.net/

 

永遠の予感か現実逃避か

 投稿者:南山鳥27  投稿日:2017年12月19日(火)09時57分42秒
返信・引用
 
ロバート・ネイサンという作家がいる。いまはどうなっているのか
知らないが、第一次大戦後、1930年頃から1950年頃まで活躍した作
家で、『ジェニーの肖像』という、ある意味で超現実的なファンタ
ジーの中編を書いている。

昨日、何十年ぶりかで、この作品を再読し終わったが、短い作品で
あるが、考えることが多かった。記憶にある物語とかなり違ってい
たように思ったが、おそらく印象深い部分が記憶に残っていたのだ
と思う。

後半最後の三分の二ぐらいは、特に何か激しい出来事の変化が起こ
るわけではなく、季節の移り変わりに伴う、一種の細密な情景描写
で、話がたんたんと進んで行く。こういう進行部分を、すっかり忘
却していた。

昨日に読み終えてみて思うのは、この淡々として、しかし自然描写
や情景描写で密度のある記述が、作品世界のリアリズムを構成して
いると共に、超現実的ファンタジー世界を支えているのだとも思っ
た。

近年というか、ここ十年、二十年のライトノベルなどの台頭は、超
自然的世界や異次元などが、あたかも日常的にそこにあるかのよう
に、簡単に出現するというか、この現実とほとんど連続して、異次
元世界とかファンタジー世界が現出するが、どうも、これは、「現
在という時代の現実逃避世界」のようにもふと思える。

『ジェニーの肖像』の後半三分の二ぐらいを占めている、季節感と
自然感豊かな情景描写的な記述は、むしろ望ましく思えた。わたし
にこういう描写が書けるかというと、かなり準備すれば書けると思
うが、難しいとも思う。しかし、これを読んで、物語の展開で、ゆ
るやかな情景描写は、世界の姿を描くにおいて、重要な意味を持つ
ようにも思えた。

ネイサンというのは、アメリカ人作家だとも感じた。フォークナー
を先に言及したが、レイ・ブラッドベリのファンタジー世界という
のは、アメリカ文学の伝統の上にあるわけで、わたし自身はブラッ
ドベリに、それほどの重さを感じない。というのは、ブラッドベリ
の世界の背景に、アメリカ文学のファンタジーあるいはリアリズム
と現実逃避の文学伝統が反映しているように思えるからである。

ブラッドベリを礼賛している人がいたように思うが、文学的な世界
の広がりのなかでブラッドベリを見るのではなく、自己に引き寄せ
て見るため、視野が狭窄しているような印象もある。

ファンタジーや幻想の世界は、もっと深い世界認識や実存了解の位
相を持っている。そういったことは、どのように多くの人々は考え
ているのだろうか。

服部誕の詩集を読んで、非常に感銘を受けたというか、考えさせら
れることがあった。作者に謹呈御礼の言葉も述べていないが、何か
の評論文で取り上げようと思っている。人の心の奥深さというのは
分からない。分からないが故に、奥深い印象があるのかも知れない。

他の人の心が何であるのか、それは、どこかで記録されているであ
ろう。深さの質が異なるのだとも思えるが、分からないとも言える。
わたし自身は、ファンタジーというのか、現実のなかにある、超現
実的な幻想の真実を描写を通じて描くことができればとも思う。

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