真を求めて 皆様と共に幸せになりたい



カテゴリ:[ なんでもフリートーク ] キーワード: キリスト教 イエス


23件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[23] 諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修業を完成なさい。五木寛之さんの仏教への旅(9)

投稿者: 奇跡の人・ブッダ 投稿日:2013年 9月 3日(火)01時05分46秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用   編集済

 題:諸々の事象は過ぎ去るものである。
         怠ることなく修行を完成なさい。
         ・・五木寛之さんの仏教への旅(9)
.
五木さん: ある時、アーナンダに向かって、仏陀は衝撃
     的な言葉を述べます。
      それは、「自分は、もう、3ヶ月後には、こ
     の世に居ないだろう」という、そういう予言で
     す。
      アーナンダは、さぞかし、もう、驚愕し絶望
     したに違いありません。
      しかし、余命は、もういくばくもない、自分
     は3ヵ月後に、この世を去る。
      自分の言っていることは、決して間違いない。
      こういう風に、仏陀は、断定します。
      おそらく、仏陀の80年の生涯の中で、自分
     の人生の終わりというものを、すっきりと予感
     した。
      そういう瞬間だっただろうと思いますね。
      ・・・で、仏陀は、アーナンダに、「自分は
     この世を去る、去る前に、自分が、色々、言っ
     ておきたいことがある。
      だから、「修行僧達を沢山集めなさい」 こ
     ういう風に、アーナンダに命じます。
      そして、アーナンダが、集めた大勢の修行僧
     を前に、仏陀は、この様に言われたという風に、
     経典には書かれています。
        そこで尊師は、
        修行僧達に告げられた
        さあー、修行僧達よ
        私は、いま、お前達に告げよう
        諸々の事象は過ぎ去るものである。
        怠ることなく修行を完成なさい。
        久しからずして
        修行完成者は亡くなることだろう
        これから3ヶ月過ぎた後に
        修行完成者は亡くなるだろう・・と、

        尊師・幸いな人、
        師はこの様に説かれた。
        この様に説いたあとで
        さらに、
        次のように言われた
        我が齢は熟した。
        我が余命はいくばくもない。
        汝らを捨てて、私は行くであろう。
        私は自己に帰依することを成し遂げた。
        汝ら修行僧たちは、
        怠ることなく よく気をつけて
        よく戒めをたもて。
        その思いをよく定め統一して
        おのが心をしっかりと守れかし
        この教説と戒律とに務め励む人は
        生まれを繰り返す輪廻を捨てて
        苦しみも終滅するであろう・・と、
      物事は、移り変わるものだという様な事を、
     いくら口で言っても、どんなものでも流転する
     という様なことを、自分の身をもって、みんな
     に語ろうとしているんではないでしょうか。
      例えば、仏陀という人が、尊敬され、そして、
     その教えが、広がれば広がるほど、その人を、
     偶像化して、永遠に戴いて崇拝していこうとい
     う気分というのは、強まってきますよね。
      どっかで自分は、もう、如何に仏陀といえど
     も、自分も涅槃に入るんだという事を言って、
     それで、その時、突然、自分が居なくなって、
     周りが大混乱するよりも、あと3ヶ月というこ
     の日々を、周りの修行僧やアーナンダ達が、し
     っかり心に刻んで、あと1日、あと1日という
     風に、大事にして生きるようにという、生きる
     もの・残されたものへの配慮だという風に、思
     いますけどね。・・・・・。
      あのー、僕自身はね、余命ということを考え
     ないんですよ。
      むしろ、天命という考え方、で、自分が何時
     まで生きるとか、何時死ぬとか、そういうこと
     はね、ほとんど考えたことは無いんです。
      あのー、出来れば長く元気で生きられれば良
     いと思いますけれども、人間の天寿というもの
     は、あらかじめ決まっているんじゃないかなー
     という事を考える事がありましてね。
      その天寿を全うしたい、ですから、世の中と
     いうのは、すごく不合理なもので、30歳の天
     寿の人も居れば、10代で亡くなる人も居る、
     90歳、100歳まで生きる人も居る。
      ですから、僕は自分の人生と言うのは、ある
     時期から、「いつでも」と言うのは、おかしい
     のですけれども、「もういいよ」という、声な
     き声が、聞こえてきた時が、自分の寿命の尽き
     る時だと思っていますし、寿命が尽きると言う
     ことがですね、何か終わるとか、無くなるとか、
     そういう風に考えていないのですね。
      ですから、何か新しい出発と感じもしますし、
     とりあえず、与えられた、今日一日、明日の一
     日、仏陀の言葉の様にですね、元気を出して、
     苦しみに耐えてという風に思ってますね。
      ですから、寝る時は、もう、明日は目が覚め
     ないかもしれないという風に思いますし、起き
     た時に、「あー、今日一日あったな」と思いま
     すし、あまり、そういう風に先の事を考えたこ
     とが無いですね。
ナレーション: 自らの死を予言した仏陀。
      別れを惜しむ人々が、数多く後を追ってきま
     した、しかし、仏陀は、彼らに戻るように説き、
     形見として自分の托鉢の鉢を渡しました。
インドの仏教歌: 金のお皿でご飯を
        食べて貰いましょう
        仏陀に乳粥(ちちがゆ)を
        差し上げましょう
        金の台の上に
        席を用意しましょう
        仏陀にお願いして
        座って貰いましょう
        ここで仏陀に
        静かに休んで貰いましょう
        私は、みんなに仏陀が
        来ていることを知らせます

映 像 : 長い汽笛を鳴らして走り、そして去っていく
      列車
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
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URL: http://32983602.at.webry.info/




[22] 直径123メートルの 巨大ストゥーパ、五木寛之さんの仏教への旅(8)

投稿者: 奇跡の人・ブッダ 投稿日:2013年 8月28日(水)00時34分3秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用   編集済

 題:直径123メートルの 巨大ストゥーパ
         ・・五木寛之さんの仏教への旅(8)
.
インドのお坊さんの経: お釈迦様が、
        ヴァイシャリーにいるときは
        いろんな処に
        仏教が広まっていきました。
        お釈迦様は、
        何事も正直に話すようにと
        繰り返し語っていきました。
        お釈迦様は、
        ヴァイシャリーの人々を
        誰よりも愛してくれました。
        お釈迦様が、
        クシナガラのサーラの森に行くときは
        老若男女、みんなが泣きました。
映 像: お経を唱えながら、裸足で水に濡れた田の畦道
     を行く仏教僧の映像。
      畦の道に僧の経が流れて行く。
      ・・・。悪路を車で進む、五木さん。
      大きく左右にゆれる車。
      警笛を鳴らしながら、乗客を満載したバスと
     行き違う。
五木さん: イヤー、もう、照り返しがすごいですね。
      イヤー、もうこれは、死にそうだ。
      ナマステー。
      お茶を一杯下さい。
     (お茶の葉を沸騰している鍋に直接入れ、煮て、)
      なんか戦後を思い出すね。
ナレーション: 仏陀の足跡を辿り、連日、悪路を進む、
     五木さん。
      旅は、まだ、半ばを過ぎたところです。
五木さん: ありがとう。
      あちちっ、・・・旨いですね。
      もう、極楽という感じだな。
     (多くのハエが・・ それを手で払う店の人、
      周りを飛ぶハエ)
同行者: 五木さん、今までの旅の風情は?
五木さん: イヤー、なんか修行という感じですね。
      前にインドに来た時は楽な旅をしたもんです
     からね。
      本当は苦行修行の旅なんですね。
      こういう農村を見ないと、インドは分からな
     いというのは、本当ですね。
      仏跡は地方の農村地帯に残っている。
      仏蹟探訪の旅 ロマンティック感じはします
     けれど、
      本当は苦行修行の旅なんですね。
      だから観光の積もりできたのでは、もうもた
     ないでしょう。
      お遍路の様な覚悟で、やはりやらなければな
     らない旅ですね 苦行の・・・・。
      ナマステ。サンキュー。
      イヤー、またこれはひどい日差しだな。
ナレーション: ヴァイシャリーを出た仏陀は、更に北に
     向かって歩き続けます。
      ヴァイシャリーから北西に、およそ50キロ、
     当時のヴァッジ国の国境にあたる場所に発掘中
     の巨大な遺跡があります。
字 幕 : (ケッサリア・ストゥーパ)
五木さん: イヤー、これはすごい。あー。
ナレーション: このストゥーパは、紀元200年~紀元
     700年の間に建てられたものと考えられてい
     ます。
      本格的な調査が始まったのは、1998年。
      現在発掘されている部分だけでも、直径12
     3メートル、高さ31メートルにおよぶ、レン
     ガ造りの巨大なストゥーパです。
      さらに、この下にどれ程の遺跡が埋もれてい
     るかは、
     まだ、明らかになっていません。
     (遺跡を登り、進む、五木さん)
五木さん: あー、ここに仏陀像があるんだね、あー、
     (頭を下げ、手を合わせる、五木さん)
ナレーション: 大パリニッバーナ経によると、旅の途中、
     仏陀の前に悪魔が現れました。
      悪魔は、今こそ、尊師のお亡くなりになる時
     ですと告げます。
      まだ、その様な時期ではないと退けます。
     (カラスが、ぎゃーぎゃーと鳴いている)
五木さん: カラスがすごい。
ナレーション: しかし、その一方で仏陀は、死に向かう
     準備を始めます。
     (巨大ストゥーパの周りをくるくる歩く、五木
     さん。何匹ものカラスが木にとまり、ぎゃーぎ
     ゃーと鳴く)
五木さん: ストゥーパだから、中に入る事はないんだね。
     (ストゥーパの上も、何匹ものカラスが飛び回
      る)
.
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[21] この世界は美しい、人生は甘美である

投稿者: 奇跡の人・ブッダ 投稿日:2013年 8月26日(月)02時12分59秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用

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 題:この世界は美しい、人生は甘美である
         ・・五木寛之さんの仏教への旅(7)
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ナレーション: 病を克服した仏陀は、回復するといつも
     の様に托鉢に出かけました。
      後ろには弟子のアーナンダが従います。
      仏陀の従兄弟でもあるアーナンダは、25年
     にわたって、常に行動を共にして来ました。
      この日、托鉢から戻り食事を終えた仏陀が発
     した言葉に、周りの弟子達はおどろかされまし
     た。
      それは、何時も身近に居るアーナンダですら、
     始めて耳にする言葉でした。
画 像 : インドの子供達が、大喜びで水浴びする姿を
     微笑みながら見る、五木さん。
五木さん: アーナンダとの対話 アンバパーリーとのい
     きさつ、そして、仏陀の老いと病と、そういうも
     のが、いくつもつき重なった場所なんですけど、
     この場所で、ある日、仏陀とアーナンダの間に、
     こういう対話があります。
      「仏陀・最後の旅」の中から、とても印象深
     い対話です。
        さて尊師は、
        早朝に、内衣を付け
        外衣と鉢とをたずさえて
        托鉢の為にベーサーリー市へ行った。
        托鉢の為にベーサーリーを歩んで
        托鉢から戻って食事を済ませた後で
        若き人・アーナンダに告げた。
        アーナンダよ、
        座具を持って行け
        私はチャーパーラ霊樹の元へ行こう
        昼間の休息の為に。
        そこで尊師は、
        チャーパーラー霊樹の元に赴いた
        赴いてから、あらかじめ設けられていた
        座席に座した。
        若き人・アーナンダは、尊師に敬礼して
        一方に座した。
        一方に座した若き人・アーナンダに、尊
        師はこの様に言われた。
        アーナンダよ、
        ベーサーリーは楽しい
        ウデーナ霊樹の地は楽しい
        ゴータマカ霊樹の地は楽しい
        七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい
        タフブッダ霊樹の地は楽しい
        サーランダ霊樹の地は楽しい
        チャーパーラ霊樹の地は楽しい。
      これは中村元さんが、パーリー語から訳され
     た言葉なんですけれども、あのー、色々ありま
     して、サンスクリットの方から訳されたこのく
     だりにはですね、非常に印象的な言葉が加えら
     れています。
        この世界は美しい
        そして、
        人生は甘美である
      まあ、こんな風に、サンスクリット語の本の
     方には書かれている訳なんですけれども、そこ
     まで本当に、仏陀が、言われたかは分かりませ
     ん。
      この物語を編んだ人が、霊樹の地は楽しいと
     いう言葉を、さらに、普遍して、その様に自分
     の思いを付け加えたかもしれません。
      この辺は分かりませんですけれども、人々が、
     仏陀にそういう風な言葉を言って欲しいなーと
     いう風に、心から思っていたことが伺えるので
     すね。
      仏陀の信仰と言いますか、法の教えの第一歩
     は、人生というものは、苦であるという、いわ
     ば、ネガティブ・シンキングと言いますか、ど
     ん底から出発する訳です。
      この世というものは苦しいものである、そし
     て、生老病死、様々な苦しみに満ちている。こ
     の苦しみの中から人はどのように苦しみに耐え
     て生きていくか。仏陀は、その事を終生、ずー
     ッと追求し続けた人なんですが、それでも苦か
     ら出発したこの世界、この認識がですね、仏陀
     の最後の旅の「 末期の眼 」の中で、
       『 この世界は美しい、人生は甘美である 』、
      例え、苦の世界であったとしても、こんな風
     に、最後に、仏陀に呟いて欲しいと思った人々
     が、どれほど居たことなんでしょうね。
      人間というものは、『 決定的な絶望の中に
     生き続けることは、本当は難しいこと 』です。
      そして、私達・弱い人間というのは、どうし
     てもその様に、物語の中で自分達の思いを、仏
     陀に託して、そして、こういう事を言って欲し
     かったという事を付け加えて、伝承というもの
     が生まれてきます。
      ですから、それは、仏陀が、言った言わない
     とは別に、人々が、その様に、苦から出発して、
     あるいは楽の世界、醜の世界から美の世界、辛
     い世界から甘美な世界へ行きたいという願いを
     抱き続けて、2500年も生き続けて来たとい
     う事を表している訳ですから、それはそれで真
     実であろうという風に思う所があります。
ナレーション: 若き人・アーナンダに、尊師は、この様
      に言われた。
        アーナンダよ
        ベーサーリーは楽しい
         ウデーナ霊樹の地は楽しい
        ゴータマカ霊樹の地は楽しい
        七つのマンゴの霊樹の地は楽しい
        タフブッダ霊樹の地は楽しい
        サーランダ霊樹の地は楽しい
        チャーパーラ霊樹の地は楽しい。
ナレーション: 雨季が明け、再び、旅に出る日がやって
     きました。
      ヴァイシャリーの人々は、何時までも、別れ
     を惜しんだと言います。
      町の郊外にあるレリック・ストゥーパは、
     ヴァイシャリー王によって建立されたと伝えら
     れております。
      小さな半円形のストゥーパからは、仏陀の遺
     骨の一部を納めたシャリ容器が、半世紀前に発
     掘されました。
      インド人のプッドゥ・バランさんは、このあ
     たりで布教活動しているお坊さんです。
      バランさんは、ここで、毎日、経を上げてい
     ます。
バランさんの言葉: 今から2500年も前の話になりま
     すが、お釈迦様は、好んでこの地で法を説いて
     いました。
      ある日、ヴァイシャリーの人々に、この様に
     語ったと伝えられています。
        私は、この地にずっと留まることは出来
        ません。
        西にあるクシナガラという町へ向かいま
        す。
        名残惜しいけれど、どうか、私を行かせ
        て下さい。
     この物語に基づいた歌を唄いたいと思います。
インドのお坊さんの経: ヴァイシャリーの人々は
        お釈迦様が歩き出すと
        泣き出しました。
        お釈迦様は、クシナガラの
        サーラの方へ出発しました。
        村の人々が、皆、泣き出しました。
                    (つづく)
(補 注): アンバパーリーは、徹夜でご馳走を用意し、
     翌日、釈迦の一行が訪れた時は自ら給仕しても
     てなしました。
      食事が終わった時、彼女は、釈迦が留まった
     果樹園を教団に寄贈することを申し出て釈迦は
     これも受けています。
      最後の場面はこんなふうに伝えられています。
        尊師は法に関する講話をもってかの女を
        教え、
        諭し、励まし、喜ばせ、座から起って、
        去っていった 。
.
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[20] 法を島とし、法を拠り所として、五木寛之さんの仏教への旅(6)

投稿者: 奇跡の人・ブッダ 投稿日:2013年 8月25日(日)02時34分25秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用

題:法を島とし 法を拠り所として
         ・・五木寛之さんの仏教への旅(6)
.
五木さん: この周辺に住まいしていた時期、ちょうど雨
     季に入りました。
      そして、雨季というのはもう、往来が困難だ
     し、疫病がはやったり、大変な時期なんで、雨
     安居(うあんご)と言って、その時期、旅を休
     んで瞑想にふけり、思索にふけります。
      ちょうど、その時ですね、仏陀は、思いがけ
     なくも、本当に大きな病にかかる訳ですね。
      最後の旅のほんとに途中なんですけれども、
     その時の模様を こんな風に「大パリニッバー
     ナ経」・「仏陀・最後の旅」 には書かれていま
     す。
        さて尊師が、
        雨季の定住に入られたとき
        恐ろしい病が生じ
        死ぬほどの激痛が起こった。
        しかし尊師は、
        心に念じて
        よく気をつけて
        悩まされることなく
        苦痛を堪え忍んだ。
        そのとき尊師は、
        次のように思った
        「私が侍者たちに
        別れを告げないで
        修行僧達に別れを告げないで
        ニルヴァーナに入ることは
        私には相応(ふさわ)しくない
        さぁ私は元気を出して
        この病苦を堪(こら)えて
        寿命のもとを留めて
        住することにしよう」と
     (参考)ニルヴァーナ: サンスクリット語の
     仏教用語で、涅槃 (nirvaaNa) のこと。
五木さん: つまり大変な激痛が生じてですね。
      本当にもう、耐え難いほどの痛みと苦しみの
     中で、仏陀は、それに耐え忍び、そして、今は
     死ねないと感じるんですね。
      それがまだ自分には残した仕事があると感じ
     ていたのか、あるいは、自分に与えられた事を
     最後までやり遂げるために、この旅を続けよう
     という意思なのか、あるいは、天と言いますか、
     目に見えない大きなものの命ずるままに、自分
     の人生というものを、もう一度、生きていこう
     という風に考えるのか、その辺は良く分かりま
     せんけれども、老いと病というものは、まあ、
     普通に言われるように、生易しいものではあり
     ません、人間が最後の旅に出る時に、必ず、こ
     の老いと病を道連れにして、生きていく訳です。
      その最後の旅の中で、仏陀もまた、この病気
     と苦痛と、そして、老いというものを感じつつ、
     この辺に留まって居られたということを思いま
     すと、人間・仏陀、人間ではないけれども、人
     間的なそのような苦しみを、人一倍、深く背負
     った仏陀という存在、そこに、私達人間も、と
     っても同じ様な、親しみと共感、そして、尊敬
     の念を覚えるところがあります。
五木さん: 車の中で、ちょっと七転八倒したんですよね。
      朝4時に起きて、ほとんど徹夜のまま撮影を
     やって、それからあの悪路をバスで走っている
     でしょう。
      でも、昔はね、シベリヤ横断したってなんと
     も無かったくらいだったのに、僅かこの位の事
     で、こんなに苦しまなければならないのかとい
     う、ほんとに、パトナへの道は、地獄への道で
     したね。
      ですから あの時、ホントにねー、もう薬を
     飲んでも効かない、水を飲んでもどうにもなら
     ない、今にも吐きそうでという、その時に、や
     っぱり、今の体力の衰えというものをね、今度
     の、やっぱり、インドの旅では、つくづく感じ
     させられましたね。
      ですから、実感がとってもありますよ。
      まして、僕はまだ70代の前半ですけどね、
     齢(いわい)80に達したら、この旅を車なん
     て文明の利器を使わずにしている 仏陀の大変
     さというのは、おそらく想像を絶するものが、
     あったに違いありません。
ナレーション: 仏陀・最後の旅には、常に苦楽を共にす
     る弟子が付き添っておりました。その名は、ア
     ーナンダ。
      弟子の中でも、人一倍、心優しく、純粋な人
     間だったと伝えられています。
      病から回復した仏陀の姿を見て、アーナンダ
     は歓喜し、こう言います。
      「尊師が病気の間、呆然自失して、方角も教
     えすらも、分からなくなっていました。でも、
     もう安心です」。
      そんなアーナンダに、仏陀はこう答えました。
        アーナンダよ
        私はもう老い朽ち
        齢(よわい)を重ね老衰し
        人生の旅路を通り過ぎ
        老齢に達した
        我が齢(よわい)は八十となった
        例えば、古ぼけた車が
        革紐(かわひも)の助けによって
        やっと動いていくように
        おそらく私の身体も
        革紐の助けによって
        もっているのだ。
ナレーション: さらに、仏陀は、自分が死んだ後の心構
     えについて、修行僧達に説きました。
        この世で、
        自らを島とし、
        自らを頼りとして
        他人を頼りとせず
        法を島とし、
        法を拠り所として、
        他のものを拠り所とせずにやれ。

        アーナンダよ、
        今でも、また、私の死後にでも、
                     誰にでも、
        自らを島とし、
        自らを頼りとし、
        他人を頼りとせず、
        法を島とし、
        法を拠り所とし、
        他のものを拠り所としないでいる
                 人々が居るならば、
        彼らは、我・修行僧として
             最高の境地にあるであろう。
五木さん: あのー、非常に文脈としてですね、捉えにく
     い言葉なんですけど、言っていることは一つだ
     と思うんですね。
      自分の尊敬する人が居ることは結構である。
      だけど、大事なことは、そういうことである
     ことよりも、権威とか、あるいは他人に対する
     親愛の情とか、そういう事よりも、もっと大事
     な、仏教の法というものがある。
      ダルマといいますね。
      そういう仏教の真実や真理、そういうものこ
     そ頼りとして、他人の権威・社会の常識、そう
     いうものに囚われることなく、自分が学んだ仏
     教の心を心として、そして、自分が亡くなった
     後も、雄雄しく立派に生きて行って欲しい、そ
     れが大事だぞと、こういう事を最後に言ってい
     る訳です。
      仏陀の言っていることというのは、私は、決
     して、自分に頼れという風に、自我を強調して
     いるのではないと思いますね。
      それよりもっと大きな宇宙の真理というもの
     がある。
      そういうものを自覚して、そして、自分が感
     じた直感というものを拠り所にし、そして、そ
     れを、島と言うのは例えですけれども、河の中
     洲という風に訳する人も居ますね。
      水が増えてきても没することなく、世の中の
     激流に呑まれる事も無く、大きな永遠不朽の真
     理というものをしっかりと身に付けて、その真
     理を頼りにして、自分自身の道を歩くが良いと、
     仏陀は、こういう風にここで語っているんだろ
     うと思います。
        この世で
        自らを島とし
        自らをたよりとして
        他人をたよりとせず
        法を島とし
        法をよりどころとして
        他のものを
        よりどころとせずにあれ。
                    (つづく)
(参考) 安居:(あんご)は、それまで個々に活動してい
    た僧侶たちが、一定期間、一カ所に集まって集団
    で修行すること。
     及び、その期間の事を指す。
     安居とは元々、梵語の雨期を日本語に訳したも
    のである。
     本来の目的は雨期には草木が生え繁り、昆虫、
    蛇などの数多くの小動物が活動するため、遊行(
    外での修行)をやめて一カ所に定住することによ
    り、小動物に対する無用な殺生を防ぐ事である。
      後に雨期のある夏に行う事から、夏安居(げ
    あんご)、雨安居(うあんご)とも呼ばれるよう
    になった。
     釈尊在世中より始められたとされ、その後、仏
    教の伝来と共に中国や日本に伝わり、夏だけでな
    く冬も行うようになり(冬安居)、安居の回数が
    僧侶の仏教界での経験を指すようになり、重要視
    された。
     現在でも禅宗では、修行僧が安居を行い、安居
    に入る結制から、安居が明ける解夏(げげ)まで
    の間は寺域から一歩も外を出ずに修行に明け暮れ
    る。        (Wikipediaより)
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/



[19] 民主主義の国・ヴァッジ国を、仏陀は、こよなく愛していました。五木寛之さんの仏教の旅(5)

投稿者: 奇跡の人・ブッダ 投稿日:2013年 8月22日(木)11時43分18秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用

 題:民主主義の国・ヴァッジ国を、
         仏陀は、こよなく愛していました
         ・・五木寛之さんの仏教への旅(5)
インドの仏教歌: 金のお皿でご飯を
        食べて貰いましょう
        仏陀に乳粥(ちちがゆ)を
        差し上げましょう
        金の台の上に
        席を用意しましょう
        仏陀にお願いして
        座って貰いましょう
        ここで仏陀に
        静かに休んで貰いましょう
        私は、みんなに仏陀が
        来ていることを知らせます

ナレーション: ガンジスを渡った仏陀は、いくつかの村
     を経て、ヴァイシャリーへと向かいました。
      そこは商業で栄えるヴァッチ国の首都でした。
      仏陀の時代、北インドは、16もの国にも分
     かれていました。
      その中にあって、ヴァッチ国は、国の方針を
     話し合いで決める進んだ国でした。
      大パリ二ッバーナ経には、仏陀が、ヴァッチ
     国の事を賞賛した言葉が記されています。
        ヴァッジ人が、
        しばしば会議を開き、
        会議には多くの人が参集する間は、
        ヴァッジ人には繁栄が期待され、
        衰亡は無いであろう。
        ヴァッジ人が、
        共同して集合し、
        共同して行動し、
        共同してヴァッジ族として
        なすべき事をなす間は、
        ヴァッジ人には、
        繁栄が期待され、
        衰亡は無いであろう。
ナレーション:仏陀は、ヴァッジ国をこよなく愛していま
     した。
      仏陀の一行は、ヴァイシャリー郊外のマンゴ
     ー園に留まります。
      布教の旅では、決まって町外れに滞在します。
      修行の為には静かな環境が望ましいが、托鉢
     をするには人の集まるにぎやかな場所が必要で
     す。
      「俗に染まらず、俗から離れず」
      大パリ二ッバーナ経には、このマンゴー園で
     の逸話が残されています。
五木さん:イヤー、見事な果樹園ですね。あのー、これは、
     マンゴーの木なんだそうです。
      僕は、マンゴーは、恥ずかしながら、畑の中
     に生ると思っていたのですが、こういう堂々た
     る木の中に、マンゴーが沢山生ってる姿は、想
     像しませんでした。
      ここは、ヴァイシャリーという所の郊外のマ
     ンゴー畑なんですけれども、ガンジス河を渡っ
     た仏陀は、このヴァイシャリーの街中ではなく、
     街からチョット離れた、この郊外のマンゴー畑
     の中に居を定めます。
      そして、しばらくここに滞在する訳なんです
     ね。
      それで、このー、不思議な事に、ここにはと
     っても華やかで人間的なエピソードが一つある
     んですが、このマンゴー畑の所有者といいます
     か、地主の方が、ヴァイシァリーの町では大変
     著名なサロンの女主人公と言いますか、実は、
     高級娼婦・遊女と言われている人なんですが、
     遊女と言ってもですねー、ただの遊女ではなく
     て、一夜の値段が、牛何十頭などという、王侯
     貴族を相手にするという様な、しかも教養もあ
     り、音楽もあり、文学も出来、詩も詠めるとい
     う素晴らしい、高名な女性であったらしいんで
     すね、で、そのアンバパーリーという女性なん
     ですが、その女性は、自分のマンゴー園に高名
     な仏陀が滞在しているという事を聞いて、そし
     て、教えを乞いに仏陀のもとへやって来ます。
      そして、仏陀から様々な話を聞いて大変深く
     感動して、感動したアンバパーリーは、自分の、
     是非、屋敷に招待して一夜の宴(うたげ)を催
     したいという風に、仏陀に申し入れます。
      遊女の申し込みなんで、本来なら、僧がどう
     いう風に応対すべきか、ちょっと、分かりませ
     んが、仏陀は、そこんところを非常に快く、つ
     まり、法といいますか、仏法というものを尊ぶ
     心の持ち主ならば、いかなる職業であっても差
     別しないという、そういう気持ちからでしょう
     か、仏陀はそれを承諾するんですね。
ナレーション:仏陀が、ヴァイシャリー郊外に滞在してい
     ることを聞きつけた若い貴族たちが尋ねてきま
     す。
      「自分達も仏陀を招待したい」と申し入れま
     した。
      しかし、仏陀は、既に、遊女・アンバパーリ
     ーの招きを受けていると、その申し出を断りま
     す。
      貴族達の中には、自分達より遊女を優先する
     のかと非難する者も居ました。
五木さん: ここで遊女という、アンバパーリーという、
     女性の話が出てくるというところがですね、こ
     の経典の中での、ある種の非常に興味深い所で
     す。
      それは何かと言いますと、やっぱり当時のイ
     ンドでも、女性に対する偏見というのは、今よ
     りもっともっと深いものがあったに違いありま
     せん。
      ましてや職業の貴賤ということに関しては、
     さらに偏見が多かったと思うんです。
      そういうときに、例えそれが娼婦であろうと、
     どういう職業の人間であろうと、分け隔てなく
     接する、そして、「人間は、皆、平等だ」とい
     う仏陀の基本的な仏教の考え方というものがで
     すね、そのエピソードの中に盛り込まれている
     んじゃないか、今から2500年前、それほどの昔
     にですね、今でも、なお、残っている女性に対
     する蔑視とか、職業に対する差別とか、そうい
     うものを乗り越えて最後の旅を続けて行く仏陀
     の姿に、なんとなく共感を押さえる事が出来ま
     せん。
ナレーション: ヴァイシャリー郊外に、遊女アンバパー
     リー縁(ゆかり)といわれる仏教遺跡が、今も
     残されています。
      後の時代に、インド北部一帯を支配したアシ
     ョーカ王が建立した石柱とストゥーパ・仏塔で
     す。
      仏陀と一人の遊女の出会いが、人々の心を動
     かし、大きな仏教遺跡となって残されたのでし
     ょうか。
      仏陀は、このバイシャリーの地で大きな試練
     に出会うことになります。
      ここで命をも脅かす様な、重い病を得たので
     す。             (つづく)
(参考)ヴァッジ国:ヴァッジ国(パーリー語 ?????)ある
    いはヴリジ国(????)は、古代インドの国名。初期
    仏教の聖典『アングッタラ・ニカーヤ』の中で、
    十六大国のひとつに数えられる。首都はヴァイシ
    ャリー。
     位置:現在のビハール州北部にあたり、南北に
    はガンジス川北岸から現在のネパールまで広がり、
    西はガンダク川を挟んでマッラ国およびコーサラ
    国と隣接していた。
     また、東は現在のビハール州と西ベンガル州の
    州境付近を流れるマハーナンダ川近辺、あるいは
    ビハール州を流れるコーシー川までで、アンガ国
    と接していたと考えられている。
     民族:ヴァッジ国は、ヴァッジ族、リッチャヴ
    ィ族(離車族)、ジニャートリカ族、ヴィデーハ
    族など、8つの部族が連合して形成していたと伝
    えられている。
     統治機構:ヴァッジ国王は、「ヴァッジ・サン
    ガ」と呼ばれた代表議会の議長であったと考えら
    れている。「ヴァッジ・サンガ」は、各地方から
    の代表者から成り、国政を取り仕切っていたもの
    と考えられている。近年、このような古代インド
    の国家をガナ・サンガ国というようになっている。
     宗教:リッチャヴィ族(離車族)は、ジャイナ
    教を信奉していたが、後に仏教に改めたと、仏典
    は伝えている。
     実際にブッダは、ヴァッジ国の首都ヴァイシャ
    ーリーを何度も訪問して説法していたし、仏教の
    修行者のための修行道場が設置されていたという
    記録がある。したがって、ヴェーダの宗教に並び、
    ジャイナ教や仏教も盛んであったと考えられる。
                 (Wikipediaより)
.
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[18] どの様にして、涅槃、すなわち 煩悩から解き放たれた理想の境地に至るか、五木寛之さんの仏教への旅(4)

投稿者: 奇跡の人・ブッダ 投稿日:2013年 8月21日(水)16時09分15秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用   編集済

 題:どの様にして、涅槃、すなわち
      煩悩から解き放たれた理想の境地に至るか
         ・・五木寛之さんの仏教への旅(4)
映 像: ガンジスの河の上を舟に揺られる、五木さん。
五木さん: あのー、私自身も、河というものについて、
     非常な思い入れがありました。
      ちょうど子供時代。小学校の頃は、今のソウ
     ルで過ごしたんですね。京城(ケイジョウ)と
     いいます。
      京城には、ハンガン(=漢江・かんこう)と
     いう、当時は漢江と言いましたけれども、ハン
     ガンという、実に大きな流れがありました。
      そして、中学時代を過ごした、ピョンヤン
     (=平壌)という町には、ケドンガンというの
     ですが、大同江(ダイドウコウ)という名前で
     私達は呼んでいたんですが、
     ここにも楽浪郡時代からの大きな流れがありま
     して、その河の流れを往復しながら、学校に通
     っていました。
      いつもその大同江の岸辺に立って、数千年の
     歴史、あるいは人生、自分の将来、いろんな事
     を空想したもんです。
      ・・で、敗戦になって、私達、外国からやっ
     てきて、その国を支配していた人間は、その国
     を去らなければならないわけです。
      引揚者と言いますか、難民となって、私達は、
     ピョンヤンから去る訳ですけれども、その引き
     上げが始まるまでの1~2年の間に、本当にた
     くさんの人々がそこで亡くなりました。
      夏ですと、どこか目立たないところに穴を掘
     って、火葬ができるんですが、冬は零下20度、
     30度という寒さになります。
      もう地面もツンドラの様に凍ってですね、ツ
     ルハシも立たないほどなのですね。
      そこで仕方なく、火葬にすることも出来ず、
     土葬にすることも出来ず、テンドンガンという
     凍りついた厚さ1メートル以上も氷が張ってい
     る河の、魚を釣るために、あちこちに、ぽこっ、
     ぽこっと穴が開いているんですが、
     毛布に包んで、その穴から流して弔うというこ
     とが、しばしばありました。
      母も昭和20年の敗戦から1ヶ月後に亡くな
     ったんですけれども、遺骨を持ってくることが
     出来ませんで、ほんの一束だけ、髪の毛を切っ
     て、遺髪を持って来て、ずーっと戦後50年く
     らい、持ち歩いていたんですが、ある時、奈良
     の小さなお寺に、父の遺骨と一緒にお預けしま
     した。
      ただ、気持ちとしてはですね、そういう河に
     流したかったという気持ちの方が、本当は自分
     の心の中に自然に感じられていたんですね。
      ですから今度、御縁があって、ま、突然イン
     ドに来る、そして、ガンジスの河も渡る、こう
     いう機会を得た時に、何か、ちゃんとした弔い
     も出来なかった、その母の思い入れを、この川
     岸に残して行きたいという風に思って、遺髪の
     中から、1本か2本、持って来たんですが、も
     う、細く、枯れてしまってね。
      髪の毛と言えるようなものでは無かったです
     ね。
     (そして、お母さんの髪の毛を焼き、インドの
     ガンジスの河の流れに流す、五木さん。
      五木さんの顔が可哀想で見ていられない感じ)
映 像: 五木さんがお母さんと撮った幼少の写真。・・
     お父さん・お母さん・兄弟と幸せそうな写真。
     ・・幼少の五木さんが、お母さんと手をつない
     でいる写真・・・)
ナレーション: 五木さんは、昭和7年、九州の山村で教
     師をしていた両親の元に生まれました。
      生後まもなく、一家は新天地を求め、当時、
     日本の支配下にあった朝鮮半島に移住。
      12歳の時、ピョンヤンで終戦を迎えました。
      その時から、一家の運命は暗転します。
      愛する母親の非業の死。
      絶望する父。
      2年後、日本へ引き上げて来ますが、父親は
     立ち直ることなく、この世を去りました。
      何故、自分は生き残ったのか。
      その思いは、五木さんを仏教の世界へと強く
     ひきつけて行きました。
      49歳の時、作家活動を中断、大学で仏教を
     学び始めます。(龍谷大学時代の勉強する五木
     さんの写真)
      4年後、再びペンを手にしてからは、「人々
     の苦悩に仏教は答え得るのか」という視点で、
     作品に取組んで来ました。
        その時、
        ガンジス河は水が満ちていて、
        水が渡し場の所までおよんでいて、
        平らかであるから、
        カラスでさえも水が飲めるほどであった。
        ある人々は船を求めている。
        ある人々は大きないかだを求めている。
        また、ある人々は小さないかだを結んで
        いる。
        いずれも
        彼方の岸辺に行こうと欲しているのであ
        る。
        そこで、
        あたかも力士が屈した腕を伸ばし、
        また伸ばした腕を屈するように、
        まさにそのように僅かの時間の内に、
        こちらの岸において没して、
        修行僧の群れと共に向こう岸に立った。
        ついで尊師は、
        ある人々が船を求め、
        ある人々はいかだを求め、
        ある人々はいかだを結んで、
        あちらとこちらへ
        行き来しようとしているのを見た。
        そこで尊師は、
        この事を知って、
        その時、
        この環境の言葉を一人つぶやいた。
        『沼地に触れないで橋を架けて、
        広く深い海や湖を渡る人々もある。
        木切れや、つた草を結びつけて、
        いかだを作って渡る人々もある。
        聡明な人々は、
        既に渡り終わっている』
ナレーション: ガンジス河を如何にして渡るか。
      それは、どの様にして、涅槃、すなわち煩悩
     から解き放たれた理想の境地に至るかという事
     の例えだとさています。
      仏陀は、いともたやすくガンジス河を越えま
     した。          (つづく)
(訂 正): 「ブッダンサラナンガッチャーミ、ダンマ
     ンサラナンガッチャーミ、サンガンサラナンガ
     ッチャーミ」と三度唱え、仏教の三宝に帰依す
     る。
.
   (詳しくは、以下のブログへ)
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[17] 人生の大河を越える・・、五木寛之さんの仏教への旅(3)

投稿者: 奇跡の人・ブッダ 投稿日:2013年 8月21日(水)01時40分45秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用

 題:人生の大河を越える
      ・・・彼方の岸へ行こうと欲している人々
         五木寛之さんの仏教への旅(3)
.
ナレーション: インドの聖なる河・ガンジス。ヒマラヤ
     の山間部からベンガル湾に至るその長さは、お
     よそ2500キロ。
      インド最大の大河です。
      仏陀が目指したパータリ村は、このガンジス
     河のほとりにある小さな村でした。
      現在のパトナ市。ビハーレ州の州都です。
      人口は、およそ140万。米を中心に、農産
     物の集散地として賑わっています。・・・。
      パトナ市内、ガンジス河のほとりにある市場
     です。
五木さん: (市場に来た、五木さん) この辺は、昔のパ
     トナ村という、村だけあって、なんだか野菜の
     バザールの様になってますね。
      ジャガイモあり、たまねぎあり、インゲンあ
     り、ニンジンあり、・・・あー、大根もありま
     すね。
      えー、それにしても、大変な賑わいだ。
      ナマステー。
      僕は九州・福岡の出身でね、八女という所で、
     両親の古里が、みかんを作っていたんですね。
      みかんとお茶なんです。
      だからみかんを見て、ふと、懐かしくなった
     んです。
      さてどんな味がするんでしょうね。
      ・・・酸味があって、本当に「みかん」らし
     いです。
      戦後、僕らがみかん畑で働いて時のみかんは、
     こんな感じだったですね。
      うん、これは旨い。・・・。
      (ガンジス河へ向かう、五木さん) ・・・。
      アー見えてきたなー。 これがガンジスかー。
      (河辺に来て) あー 涼しい。
      ガンジスの流れというと、何か、こう、黄色
     く濁った流れだけを想像したんですけれども、
     この辺の水は青いですね。
      対岸の方には、ずーっと青い草が見えて、真
     っ白な洲があって・・・、
      ・・・あー、こんなにガンジスが、美しいと
     は。
      ナーランダの村を通過して、そして、このパ
     トナ村へやって来て、仏陀は、ここからガンジ
     ス河を超えるわけですね。
      おそらく、ここまで70~80キロか、90
     キロ。
      まあ、どの位あったんでしょう、途中で休み
     休み色んなところに寄って来る訳でから、ずい
     ぶん掛かったと思いますけども、この河のほと
     りに立った時に、おそらく、仏陀は、単に、物
     理的に川を越えるっていうだけではなくって、
     何か人生の大河を越えるという、非常に大きな
     感慨を抱かれて、この河の流れを御覧になった
     に違いありませんね。・・・・・・。
      仏陀は、生涯に、さまざまな形で、河を越え
     てきている人だと思います。
      信仰の河、思想の河 人間の河、 ・・・、
      その仏陀が、このパータリ村から河を超えて、
     対岸に渡る有様を 古い古いお経の「ダイパリ
     ミッダーナ経」という、日本では「大般涅槃経」
     として知られるお経の経文の中に、仏陀の旅の
     ガンジス河のあたりの風景が、短く描かれてい
     ます。
        ついで尊師は、
        ガンジス川に赴いた、
        その時、
        ガンジス河は、
        水が満ちていて、
        水が渡し場のところにまで及んでいて、
        平らかであるから、
        カラスでさえも水が飲めるほどであった。
        ある人々は船を求めている。
        ある人々は大きないかだを求めている。
        また、ある人々は
        小さないかだを結んでいる。
        いずれも、
        彼方の岸辺へ行こうと欲しているのである。
        そこであたかも力士が、
        屈した腕を伸ばし、
        また、伸ばした腕を屈するように、
        まさにその様に、
        僅かの時間のうちに、
        こちらの岸において没して、
        修行僧の群れと共に、
        向こう岸に立った。
     (参考):『大般涅槃経』(だいはつねはんぎ
     ょう、サンスクリット:?????????????????? Mahā
     parinirvā?a Sūtraマハ-パニルヴァ-ナ ス-
     トラ 、パーリ語:?????????????????????
     Mahaaparinibbaana-suttanta、
     タイ語:mahǎprinípphaanásùttantà
      ????????????????????)は、釈迦の入滅(=大
     般涅槃(だいはつねはん)を叙述し、その意義
     を説く経典類の総称である。阿含経典類から大
     乗経典まで数種ある。
      略称『涅槃経』。大乗の涅槃経 は、初期の涅
     槃経とあらすじは同じだが、「一切衆生、悉有
     仏性」を説くなど、趣旨が異なるので、相互を
     混同してはならない。
      パーリ語で書かれた上座部経典長部に属する
     第16経が大般涅槃経と同じものである。
      漢訳の、長阿含第2経「遊行経」および「仏
     般泥洹経」 (2巻)、「般泥洹経」(2巻)、
     「大般涅槃経」(3巻)がこれに相当する。
      釈尊の晩年から入滅、さらに入滅後の舎利の
     分配などが詳しく書かれている。これらに基づ
     いて大乗仏教の思想を述べた「大般涅槃経」と
     いう大部の経典もある。
       (Wikipediaより)        (つづく)
.
   (詳しくは、以下のブログへ)
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[16] 教えを請うものなら誰であろうと・・、五木寛之さんの仏教への旅(2)

投稿者: 奇跡の人・ブッダ 投稿日:2013年 8月19日(月)19時48分55秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用

 題 : 教えを請うものなら誰であろうと・・
         五木寛之さんの仏教への旅(2)
     (齢80の仏陀は、ただひたすら歩み続ける)

ナレーション: 出発点・霊鷲山から旅の終わりとなった
     クシナガラまでの道のりは、およそ400キロ。
      この道を、80歳の仏陀は、ひたすら歩き続
     けました。
      仏陀が最後に歩んだ道を、74歳を迎えた五
     木寛之さんが、辿ります。
      霊鷲山から北西に16キロ。仏陀は、ナーラ
     ンダ村に立ち寄っています。
      行く先々で、仏陀の元には多くの人々が、集
     まってきました。
      王侯貴族からカースト街の差別を受けている
     人たちまで、さまざまな階層の人々です。
      仏陀は、教えを請うものなら誰であろうと分
     け隔てなく、法を説いたと言われています。
      仏陀・最後の旅は、いつもと変わらぬ、布教
     の旅として始まりました。
五木さん: あーなんだか、もう本当に夢の様な幻想的な
     風景ですねー。木があって、なだらかな丘があ
     って、その向こうに また木陰に白い塔がある、
      村の人たちが、三々五々、ここに座ったり
     腰掛けたり、子供達が走り回ったりしています
     が、自然の中に、
     こんな場所があるなんて、何と贅沢なことなん
     だろうと思います。『ナマステジー。・・ナマ
     ステジー』
     (一つの堂に来た。あたりを見渡す、五木さん)
      えーっ、暗くて見えませんけども、この中に
     あるのは仏陀の坐像ですね。釈迦牟尼坐像。
      ナマステジー。あのーチョット伺いますけれ
     ども、この塔の中にある仏像は・・・?
インドの住民: 仏陀の像です。お釈迦様の像です。
五木さん: 何時ごろからあるものなのですか?
インドの住民: むかしむかしからあります。
五木さん: 昔々というと、おじいさんの代からですか、
     もっと昔ですか?
インドの住民: 祖父の親の前から さらに前から。
五木さん: すごい、これは驚きました。ほー、この丘の
     上の小さな祠の中に、・・・いやー、まさしく
     これは仏陀の坐像です。ほーっ。・・・イヤー
     驚きました。素晴らしい仏像ですけれども、相
     当古いものだと思いますが、とにかく立派なの
     ですよね。
      シルエットといい、バランスといい それに
     しても、この右手とお顔の損傷というのは実に
     生々しい。インドの歴史のありようを感じさせ
     てくれる様な気がします。
ナレーション: ナーランダに心行くまで留まった仏陀は、
     ある日、弟子のアーナンダに こう告げます。
     『さー、アーナンダよ、パータリ村へ行こう』
      仏陀は、三つの袈裟と托鉢用の鉢一つだけを
     だずさえてパータリ村を目指し歩みを進めます。
      その後ろには、仏陀を慕う多くの修行僧がつ
     き従っていました。
インドの祈りの歌: 私は仏陀に帰依します。
        私は仏法に帰依します。
        私は僧伽(そうぎゃ)に帰依します。
     (参考)僧伽:〔仏〕〔梵 sagha の音訳〕仏
       教修行者の集団。僧侶の集団。広義には、
       在家を含む仏教教団全体をいうこともある。
       和合衆。和合僧。僧祇(そうぎ)。
ナレーション: ナーランダからパータリ村までは、およ
     そ90キロの道のりです。
映 像:(悪路で自動車の中で大きく揺れる、五木寛之さ
     ん)。    (つづく)
.
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[15] 汚れからの「まったくの解脱」、五木寛之さんの仏教への旅(1)

投稿者: 奇跡の人・ブッダ 投稿日:2013年 8月19日(月)03時26分12秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用

題 : 汚れからの 「まったくの解脱」
         五木寛之さんの仏教への旅(1)
     (You Tube 聞書き):何度もオン・オフしな
      がら、また調べながら作りました。
映 像 : 霊鷲山(りょうじゅせん)の映像。
     インドのビハール州のほぼ中央に位置する山。
     仏陀(釈迦佛)が無量寿経や法華経を説いたと
     される。

ナレーション: 誰にもやがて訪れる死。
映 像: ハーハーと息を弾ませながら霊鷲山の階段を
      登る 五木寛之さん。
ナレーション: 人生の旅路の最後で、人は、老いや死と、
      どの様に向き合えば良いのでしょうか。
      およそ2500年前、その問いに一つの答え
      を出した人が居ます。
五木さん: あー。もう少しだ。・・・。アー見えた。
ナレーション: その人の名は、
      ゴーダマ・シッタールダ(パーリ語形。釈迦。
      仏教の開祖)。
      人々からは目覚めた人・仏陀と呼ばれました。
五木さん: 最後の階だ。・・・。アー・・・。
    ナマステ。ナマステー。(遠くから、経を上げる
     声が聞こえる)。
    (参考)ナマステ: サンスクリット語、インド
    やネパールで交わされる挨拶の言葉。
ナレーション:生きること、老いること、病(やまい)、
     そして死。
     人生は苦しみに満ちている。
     仏陀は、その苦しみと、「 共に生きること 」
     を説き続けました。
(キリスト教は「人は生まれながらに原罪がある・救って
    貰う」とは違う)
五木さん: 「仏陀、さらまんがっちゃーみ」。「仏陀、
     さらまんがっちゃーみ」。・・・
      「何という静かな場所なんだろう」。
ナレーション: 作家・五木博之さん。仏陀が、最晩年に
     至るまで教えを説いたこの霊鷲山を初めて訪れ
     ました。
五木さん: ちょうど、齢80を迎える頃に、この霊鷲山
     に滞在していた仏陀は、そこから山を降りて、
     そして、大変困難な旅、ガンジスを超えて、北
     へ北上するという、6ヶ月・数百キロにおよぶ
     旅に出発する訳です。
      そして、その最初の出発点がこの霊鷲山、
     一体、仏陀が80歳になって何を感じ、そして、
     大変困難な旅に出発する、その最初の動機は何
     であったんだろうというふうに勝手に想像する
     んですが、人間というものは、ある時期に達す
     ると、自分の人生というものを振り返ってみな
     がら、そして、その自分の人生の締めくくりと
     いう様なことを 否でも応でも感じない訳には
     いかない訳ですね。
      自分自身も、この70歳を超えて、仏陀が死
     を迎える死への旅である、そして、最後の旅で
     ある その仏陀の死の旅の足跡を、自分自身で
     歩いてみるということを自分の人生に重ねてみ
     ますと、何とも言えない不思議な感じがします。
     (霊鷲山にある仏像に手を合わせる、五木さん)
ナレーション: 悟りを開いて45年。常に布教・伝道の
     旅にあった仏陀。80歳で、ここ霊鷲山を立ち
     ます。
      それが最後の旅になりました。
      苦難に満ちた旅の中で、仏陀その人は、いか
     に老いを受け入れ、病(やまい)に耐え、そし
     て、どの様に死を迎えたのでしょうか。
      およそ2500年前、釈迦族の王子として生
     まれながら、出家し、苦行のはてに悟りをひら
     いた仏陀。
      その教えは、時を越え、多くの人々の中に広
     まって行きました。
      人は、何故、苦しむのか、苦しみと如何に向
     きあうのか。
      仏教2500年の歩みは、その問いかけの歴
     史でもありました。
      21世紀を迎えた今も、人々は変わらず多く
     の苦しみを抱いています。
      その中にあって仏教は何をなし得るのでしょ
     うか。
      シリーズ・21世紀・仏教への旅。第一集。
      作家・五木博之さんが 仏陀・最後の旅をた
     どります。
字 幕: 第一集 ブッダ最後の旅 インド
ナレーション: さまざまな伝説に彩られ、なぞに満ちた
     仏陀の生涯。しかし、その晩年については克明
     な記録が、いくつかの経典として残されていま
     す。
      大般涅槃経や、ダイパリミッパーナ経。
      そこには仏陀の死と、最後の旅の様子が記さ
     れております。霊鷲山から旅立つ前、仏陀は弟
     子達を集め、悟りに至る道について次のように
     説きました。
        戒律と共に修行して
        完成された精神統一は
        大いなる果報をもたらし、
        大いなる功徳がある。
        精神統一と共に修養された智慧は、
        偉大な果報をもたらし、
        大いなる功徳がある。
        智慧とともに修養された心は、
        もろもろの汚れ、すなわち、
        欲望の汚れ、
        生存の汚れ、
        無明の汚れから
       『 まったく解脱 』 する。(つづく)
.
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[14] 酋長の想い

投稿者: ほっかりさん 投稿日:2013年 8月19日(月)02時29分4秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用

 題: 酋長の想い
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)

.
スー族酋長のことば
  (アメリカ開拓民と遭遇した
           先住民スー・オグララ族の言葉)


広々と 開かれた、
 どこまでも 広大な 平原や、
 ゆるやかに 起伏を描いていく なだらかな丘や、
 曲がりくねって 流れていく 小川は、
 わしらの目から見れば、
 少しも 野蛮では なかった。

 ただ 白人だけが、
 自然を 野蛮だと 思っていた。
 ただ 白人にとってだけ、
 大地は 「荒れ果て」、
 動物たちは 「獰猛で」、
 そこに住む ちっぽけな人間どもは 「野蛮」だったのだ。

 わしらには、
 大地は 優しく、
 寛大だった。
 わしらにはそこに、
 「大いなる神秘」の 恩恵に 満たされながら、
 生きている。

 そういう大地が 「野蛮」になってしまったのは、
 東部から 毛深い人間どもが やって来て、
 気違いじみた 乱暴さで、
 わしらや わしらの愛する 家族に、
 不正を 重ねてからのことだ。
 そのとき 以来、
 彼らが近づくと、
 森の動物たちも、
 こそこそと 尻尾を巻いて、
 逃げだした。
 わしらの土地が、
 「野蛮な西部」などと 呼ばれるようになったのは、
 その頃からの ことなのだ。
     ・・ 「インディアンの言葉」 紀伊国屋書店

☆ キリスト教の理想的世界を実現しようと
 新大陸に渡ってきたピューリタン
 勤勉を美徳とする ピューリタン精神
 初期の移住者は
 当初
 アメリカ土着のインディアンと
 和平条約を結び
 生活の仕方を教えてもらい
 学ぶが
 その恩も なんのその
 その後
 西部開拓における
 インディアンの殺戮行為を
 行うこととなる。

☆追記
  ( メイフラワー誓約 :アメリカ最初の憲法 )
 最初にアメリカにやってきた人々
 キリスト教信仰の自由を求めてやって来た人々
 ピューリタンによってつくられた
 最初の憲法は
 アメリカ原住民を欠いた
 また
 アメリカ原住民の意志の
 全く入っていないもの
 条文主旨は
 キリスト教信仰のため
 植民地を 建設したい とする
 キリスト教の神が介在する 契約としている
 条文内容は
 アメリカ原住民に配慮した記述は
 全くない
 憲法作成者たちだけで
 都合のよい国を
 つくりたいと 誓っている
 そして
 その公平性と 平等性を 誓っている。
 アメリカ原住民が欠けた
 この契約は
 共同して
 結果
 土地を収奪し
 自分たちだけで
 都合のよい植民地を
 得たい・得よう との感じに
 なっている
 この契約に 参加している人たちは、
 多数決主義を とっているが
 乗船者数100名以上のうち
 本契約参加者数は 41名と多数を
 形成していない
 また
 契約した人たちの国は
 イングランド(英国)だけでなく、
 フランス
 アイルランド
 スコットランドと なっているため、
 特に 契約が必要と感じたのだと思われる
 (同船したけれど・・)
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/


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